教育社会学者の育休日記♯3 世界の中心が娘になる

選択における検討事項と優先順位。


一人父生活三日目。
産まれた日は何が何だか、と思いながら過ごし、翌日は我が子と妻の様子に思いを馳せながら、とにかく不安と心配に押しつぶされそうになり、いろんなことを考えまいと、迎え入れる準備やら、読むべき資料の確認やらに時間とリソースを割き続けて、妻からの現状共有と、我が子の様子の共有だけが幸せの瞬間として時間が過ぎた。
2日目となった昨日は、一昨日より落ち着いたものの、「ほかにやれることはないだろうか?」と頭よりも体を先に動かして一日を終えた。


3日目となった今日は、父となってはじめての平日、GW中といえど勤務にあたるべく朝起きたわけだが、なかなかに心と頭が整わず、、、
前日から始めたストレッチ、眼球疲労に効くセルフマッサージ、前々からやっていた瞑想に加え、朝ランまでしてシャワーを浴びてから一日をはじめた。
(父になったからか、あるいは子どもが娘だからカッコよいパパでいたいからなのか、なんとなく体のこと、精神のこと、健康のことにも意識が向くようになった。まだまだはじめたばかりだが、なんとなくこのルーティンは続くような気がしている。)


そこから仕事が始まるわけだが、、、
妻の退院日のこと、我が子の退院日のこと、退院の格好(産着をどうする、おくるみをどうする、それらの準備をどうする)、退院に際してそれぞれの家族とは会えるのか、会えるとしたらどんな段取りなのか、急遽出産がはやまってまだ揃え切れていないものには何があるか、どう揃えるか、我が子と隔離状態で突如退院し母をやる妻の支援体制(授乳の仕方の支援に向けた母乳相談なるもの)はどうするか、出生届、出産手当金、出産育児一時金などなど、実は考えなければいけないことは山済みで、しかも、我が家の場合は妻の退院と我が子の退院のタイミングが不確定、産科と内科で方針が違うなどあり一日の中で何度も情報が更新される。
業務日である以上目の前のことに取り組まなければ、という気持ちと、都度くる連絡が緊急性が高いものからゆるやかな相談、我が子の現状というハッピーな連絡、我が親、妻の親からの連絡が乱れ飛んで、どうにも集中が続かない。

二人兄弟、四人家族の末っ子でもある自分は、それなりに家族全員のバランスをとる役割になることが多く、妻のお母さんとも仲良しで、いろんな意味で仲を取り持つ立場になりがち。
サッカーで言うとボランチのような役割だなぁとふと思ったことがあるが、全員が味方なのだがボールが複数あって、動くゴールにボールを入れるボール回しを目隠ししながらやっているような感覚(たいしてうまい例えではないな。。。もはやサッカーの原型ないし)で、急に何かがふってきて、こっち!って思ったらどうやらそっちは向かうべき方向じゃなかった、という形で情報が更新される。何かに集中してたら他のところからボールが飛んできて、意外に期限が迫っていることに気づき準備が必要になる、、、、、、、


これもまぁ、出産タイミングが前倒しになったのが要因、といってしまえばそれまでだが、ケアすべきことが増えたという側面も大きいのだろう。
我が子以外登場人物はかわらないのに、我が子、あるいは立場によっては孫、姪というとてつもない遠心力のある竜巻に喜んでみんなが飛び込んでいって、全員が全員我が子の幸せを願い、互いが互いに気を配りながら、検討事項が積み重なる。


あるいは、目の前に我が子という存在がいたのなら、もういろんなことを考えることをやめて、一点集中できるのだろうか。


いずれにしてもみんなの世界の中心が娘になったんだ、と心から感じ、幸せに思う。
子どもが生まれるってすごいなー。



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