育休中の教育社会学者

育休中の教育社会学者

最近の記事

教育社会学者の育休日記♯21 日常で思うこと、、、

前回の投稿から早3か月もたっているそうな、、、 なんとなく、生まれたばかりのわが子と共に時間を過ごし、すべてが新鮮で、イベントっぽい日々から、やるべきことがわかってきて、それが日常になり、一方で、そうするとほかにもやりたいことやら何よりもやらなきゃいけない貯めていたことが目に見えてきて。 全くもって批判でも何でもない(それぞれの環境があり、考えがあってしかるべきだと当然のごとく思っています)のだが、数か月の育休であればイベント的なところで仕事という日常にかえっていくのかな

    • 教育社会学者の育休日記♯20 背中スイッチとの格闘は逡巡と葛藤の時間

      生後3ヶ月を迎え、夜の眠りが落ちついてきた我が子。 長いときは5時間、短くても4時間前後寝るようになり、なんとなくの体内時計もできてきて、お風呂、マッサージ、授乳、睡眠のルーティンも安定してきた。 そうなるとむしろ気を使うのは、朝寝、昼寝といった日中の睡眠だ。 夜寝るとは言え、まだまだしっかり睡眠時間をとってほしいし、活動限界時間も意識したい。 ネントレを挫折した(というか嫌気がさして手放した)我々は、日中の睡眠にはまだまだ寝かしつけや抱っこが必要だ。 長いことやってるの

      • 教育社会学者の育休日記♯19 病床に伏せる妻、これぞワンオペ育児

        ありえないほどに暑い日が続くなか、自分も数週間前に熱を出し寝込み、家族や周りの方々にもじわじわと病人がでる中、一昨日の夜妻が「やばいかもしれない、、、」と。 いつも、寝室に妻と我が子、隣の書斎で自分は寝て、夜は妻に任せきりだったが、暖かくして寝るため妻に書斎で寝てもらい、一昨日の夜中は寝室に我が子と二人。 とはいえ、我が子がお腹が空いたと泣くたびに妻は起きて寝室に来てくれて授乳をする。 そんな過ごし方もたたってか、体調を崩す悪い予兆とは当たるもので翌日には38℃近い熱がでた

        • 教育社会学者の育休日記♯18 寝室を「精神と時の部屋」と呼び、寝かしつけを「内省の時間」と呼ぶ

          人は、何かの行為や判断や発言を誰かに向かってするときには、相応のリアクションを想定して行う場合が多いように思う。 大人になって働き始めると、同じような価値観、考え方の人と時間をともに過ごすことが多くなったり、同じ人と過ごす時間が長くなって、相手が取るであろうリアクションの想定の確度はどんどん上がっていく。 Aと言ったらA’が返ってきて、BをやったらB’が返ってくる。 その「想定できる感」が心地よさにもつながるし、「気が合う」とか「関係性が良い」とかってなっていく。 Aと言っ

        教育社会学者の育休日記♯21 日常で思うこと、、、

          教育社会学者の育休日記♯17 むき出しの生存本能に照らされることこそ、子育てにおける至高の体験

          子育てをしていると、あるいは泣きじゃくる我が子とともにいると、丹田のもっと下あたりにぐーっとりエネルギーを感じるときがある。 その体験を振り返って、その感覚はむき出しの生存本能、生きるという欲求に照らされるなかで起こっていることに思えてきた。 そのこと自体が、子育てによって発生する他では絶対に得られない体験なんだと、感じている。 子育てからもらえることは本当にたくさんある。 我が子の可愛さにはじまり、親としての自覚や夫婦の絆、家族にチームとしての構えが整い磨かれていく機会

          教育社会学者の育休日記♯17 むき出しの生存本能に照らされることこそ、子育てにおける至高の体験

          教育社会学者の育休日記♯16 抱っこは親のエゴか愛情表現が ネントレから思うこと②

          ネントレ3日目。 あまりにも辛すぎる時間を過ごし、我が家は今日をもって、メソッドとしてのネントレをやめることにした。 ベッドにおいて、自ら寝るのを待つ。泣いてたとしてもひたすら待つ。 あまりに泣いてると、一度部屋にはいって寝るのをサポート。 3分、5分、7分、9分、12分と、待つ時間を延ばす。 愛する我が子が泣いてるのを待つその時間があまりにも辛すぎること、そして今夜、延々泣き続けた我が子があまりにもキツそうで抱き上げたとき、誤嚥して喉が詰まりそうになるアクシデントがあり

          教育社会学者の育休日記♯16 抱っこは親のエゴか愛情表現が ネントレから思うこと②

          教育社会学者の育休日記♯15 「我が子のためにやれることすべてやる」対「自分たちも普通に育ってるんだから先のことを考えずいまを大事に」 ネントレに思うこと

          「将来の我が子のため」、このフレーズほどパワフルなフレーズはなかなかないのではないだろうか。 一方で、そのための代償があまりにも大きく見えたり、耐えがたい体験を余儀なくされたり、本当に将来につながるのか?と思えたりするようなことは少なくない。 そんなとき問われるのは、果たして我が子への愛なのか、親としての覚悟なのか、はたまた人間の知恵なのか。 ちまたにはとてつもない量の育児メソッドが溢れていることを、育児し始めてから気づく。 本当にさまざまな体験談やら失敗談やらメリデメの紹

          教育社会学者の育休日記♯15 「我が子のためにやれることすべてやる」対「自分たちも普通に育ってるんだから先のことを考えずいまを大事に」 ネントレに思うこと

          教育社会学者の育休日記♯14 転ばぬ先の杖が成立しない育児

          育児にはトラブルもつきものというか、大人では大したことないことも幼い子どもにはとてつもないインパクト(があるよう)に思えてその一つ一つに一喜一憂しながら、ざわざわしながら親が育てられていくものなんだと、日々思う。 我が子をお風呂に入れる際、浴槽の蓋にをしてそこにタオルをしいて、そのタオルの上で我が子の服を脱がせてお風呂に入れ、お風呂あがりはそこで服を着させる。 お風呂上がりには意外にやることがおおい。 身体をふくのはもちろん、全身を丁寧に保湿していく。 乳幼児湿疹が出たし

          教育社会学者の育休日記♯14 転ばぬ先の杖が成立しない育児

          教育社会学者の育休日記♯13 お宮参りは親族をつなぐ

          生まれてからひと月ちょっと経って、お宮参りをしてきた。 夫婦揃ってそう信心深くもなく、結婚式はレストランで人前式をチョイスしたような我々だったが、妊娠に至るまでに不妊治療も経ており、その際にお散歩がてらお祈りに行った神社にはなんだか思い入れがあったこと、そしてそれぞれの親は「やったら喜ぶかなー」なんて考えも頭の片隅にあり、実施二週間前に検討をはじめ、この週末行ってきた。       「東京のへそ」と呼ばれる大宮八幡宮はお宮参りの人気スポットらしく事前予約不可、当日行ってから

          教育社会学者の育休日記♯13 お宮参りは親族をつなぐ

          教育社会学者の育休日記♯12 我が子も大事、自分も大事、家族も大事

          「きついからちょっと今日は代わってほしい」 この言葉を互いに言えることが、ママもパパも、自分らしく健全に、そしてそのことに一分の後ろめたさもなく過ごすこと、そのことをもって、我が子の健全で豊かで幸せな日々の育ちを支えていくことにつながっていくと感じる。 3人での生活が数日、一週間と経っていくと、リズムが生まれてくる。役割分担も緩やかに明確になってきて、互いの担当の家事、我が子と過ごす時間、一日の過ごし方が見えてくる。 我が家には何曜日のゴミ出しはどちら、食事はどちら、とい

          教育社会学者の育休日記♯12 我が子も大事、自分も大事、家族も大事

          教育社会学者の育休日記♯11 初の我が子への苛立ち、反省と気づき

          深夜12時を回って、懺悔のように皿を洗い、庭のコンポストに生ゴミを入れて、ぼーっとしている。 今日、はじめて我が子に苛立ちを感じてしまった。 育児をしていれば、「あーもう!!」となることはままある。 育児に関わる道具に関して(なんで哺乳瓶と乳首の洗うスポンジ別なんだよ!一緒になってろよ!とか)ってこともあるし、あーなんで一人しかいないときなのにミルクのためのお湯沸かす前に泣いてる我が子を抱っこしてしまったんだ、と、自分への苛立ちとか。 それが我が子に向く日がこうも早くく

          教育社会学者の育休日記♯11 初の我が子への苛立ち、反省と気づき

          教育社会学者の育休日記♯10 さらば里帰り、そして三人生活スタート

          夜21:45、我が子がついさっき飲んだミルクを盛大にふきだした。それも鼻と口から。 慌てふためいて洋服を着替えさせて、汚れた服を手洗いしてる矢先にさらにもう一度。。。 本人は何食わぬ顔で穏やかに過ごしていることに胸を撫で下ろしたが、久々にバタバタした。 要因は、おそらく、一回前の授乳からの時間が極端に短かったこと。 いつもならそんなことは起こらないのだが、今日は勝手が違った。 今日から、妻と我が子と3人の生活がはじまっていたのだ。 産まれてから入院生活が通常より長引いた我

          教育社会学者の育休日記♯10 さらば里帰り、そして三人生活スタート

          教育社会学者の育休日記♯9 イベントと日常の狭間の気づき「仕事とはなんて楽なことだったのだろう、、、」

          育児という営みに父として関わる日々は、自身の存在意義や効力感に意識を向ける日々にもなる。 育休開始まで10日を切ってからも、仕事はなかなか落ち着かず、むしろ休みに入るまでの駆け込みでいろんな仕事が発生したり、自分も気になり事が増えて、仕事をなかなか手放せなかったり、あるいは新しく手を伸ばしてしまったりする。 こんなことを続けていて本当に休みに入れるのだろうかという懸念が頭をもたげつつ、家にいながらも日中はパソコンを開いたり、時には一日中シェアオフィスで仕事をしたり。 そ

          教育社会学者の育休日記♯9 イベントと日常の狭間の気づき「仕事とはなんて楽なことだったのだろう、、、」

          教育社会学者の育休日記♯8 熟達

          22:00、我が子が動き出した。 前の母乳からは2時間半。ちょうどいい時間だ。 寝ながらもちょこちょこ声を上げたりうごめく我が子は、空腹で目が覚める前には声をおげる感覚が狭まり、手足の動きが活発になる。 そして口に手を持っていき、口をあむあむしたら起きる。 しかし口をあむあむしてから「空腹!!」を表現する泣き声というメッセージまではめちゃくちゃ早い。 だから口をあむあむしてからでは遅いのだ。 我が子が動き出すと同時に、オムツに手を伸ばす。 しっかり手指消毒をして防水シーツ

          教育社会学者の育休日記♯8 熟達

          教育社会学者の育休日記♯7 彼女には、我々が見えてる世界とは全く異なる世界が見えている

          「そんなに穏やかな表情3年間で初めて見ました」 部署の後輩に言われた。 そんなに厳しくしてきた意識はないし、「いやそういうことではなくて。ただほろほろ言葉がでるというか、なんか本当に穏やかそうで」と彼。 育児生活が始まってからは妻の実家で生活している。 妻と我が子は一階にいて、ミーティング前ギリギリまで我が子を眺めて、ミーティングにはいったときに言われた言葉だ。 育児しながら働く生活はあとひと月弱、6月からは完全なる育休に入る。 育児をしながら働きながら、という生活も

          教育社会学者の育休日記♯7 彼女には、我々が見えてる世界とは全く異なる世界が見えている

          教育社会学者の育休日記♯6 我が子に少しでも関わりたい湧き上がる衝動

          ついに育児が始まった。 自分は、どちらかと言えば家事をしないよりはする人間だと思う。 清潔感や料理の腕前、家事の段取り力、知識、こだわり、すべてにおいて妻が勝るという認識は強くもっているものの、料理も洗濯も掃除もやる。 まめに掃除をして清潔を保つ妻の作法を見習って、料理をしたらその日のうちに五徳を外してコンロをうたまろ(洗剤)で拭くし、コンポストに毎日生ゴミを入れて土をつくり、その土でシソやらバジルやらも育てる。 4:6とまでは言わないが、3:7よりはやってるよね、と妻に

          教育社会学者の育休日記♯6 我が子に少しでも関わりたい湧き上がる衝動