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とあるポケモントレーナーの記事への学術的(?)反論

※ この記事はネタ記事&自分の保管用です。


ここ最近「とあるポケモントレーナー」さんが興味深い記事を投稿しています。


賛同できるものもありますが、多くはツッコミどころがあるので、ここでは学術的に斬っていこうと思います(キリッ

以下、該当記事の私が実際に投稿したコメントです。



ポケモンをモンスターボールに入れずに連れ歩くことについて。

モンスターボールによってポケモンを支配しようという考え方は、極めて近代二元論的発想だ。もともと野生でいたポケモンを、人間側が持ち込んだ道具で抑圧しコントロールする様は、人間と自然の歴史に酷似する。アローラ地方のとある島は、イースター島と同じ閉鎖系であり、自然伐採の限りを尽くして文明が滅びてしまった。我々の星は同様にして閉鎖系であり、ポケモンを支配して使い尽くそうと考えた先に待つ未来は歴史が証明するところだろう。今すぐ機械的ポケモン観機能主義効率主義を捨て去り、同じ宇宙船地球号の船員としてポケモンと同じ目線に立たなければならない

(「知は力なり」とフランシス・ベーコンは言ったが、これは自然を観察することで得られる知識により自然は支配可能であるという意味。記事を読んだときこれを思い出したため、無理やり機械的自然論と絡めた)


ポケモンをダシにしたフェイク感動ポルノ動画について。

動画見ました。確かに1:13のところで悠木碧の声が聞こえるのでフェイク動画でしょう。しかしミュウツーの一件以来、現代はオリジナルとコピーの境界が無効化したハイパーリアルな「シミュラークル」化した世界であることを忘れてはいけません。つまりオリジナルの権威が失墜した脱中心化社会においては、欲望と妄想を刺激する情報こそ大衆に迎合され、唯一彼らを満足させるのです。すなわち、それを意図した「大衆のための」動画を「目先の金と承認欲求に駆られて」などと断罪するのは、お門違いな批判であり、現代社会の背景を無視する浅ましい態度にほかなりません。加えて、あたかも低評価の割合が世論におけるそれだと決めつけ、内集団バイアスに陥っていることにも気づかず、科学的根拠も挙げられない姿は大変滑稽であり、この投稿こそ「見せかけの多数派」に向けた「承認欲求の具現化」と言えるでしょう。

(シミュラークルはVtuber関連でもホットな話題。ブーメランな内容にしたかったので、ラストで承認欲求に無理やりつなげる)


ポケモンの運命をトレーナーが決定することについて。

ポケモンの自由意志人権(いや、ポケ権とも言うべきか)を問う興味深い記事ですね。しかし、「ポケモン自身に選ばせる」という選択自体も「それがポケモンにとっての善である」というトレーナーの勝手な思想の強要になりうるし、なおかつ「ポケモンは生まれながらにして自由かつ平等」で「全てのポケモンの意志は尊重されるべき」という考えが見えるあたり、18世紀型の普遍主義を表しているだけの可能性があります。ただ、今回の記事を読むと主さんの優しさからか、「俺は俺、バルキーはバルキー」という無縁を決め込む自我中心主義からは脱却できてはいるようで、近代二元論的思考に飲まれすぎている訳ではなさそうですね。今求めるべきは、共同主観から互いを理解し合うシステム思考です。言い換えれば、同じ地平に立ち、トレーナーとポケモン双方のアイデンティティを認める方向性です。トレーナーとポケモンは主人と奴隷の関係ではなく対等です。無意識のうちに、従来のロケット団的思考に飲まれいませんか?一方が他方に思想を強要することなく、双方の相互作用から共同システムを構築していきたいものです。長文失礼致しました。やりのはしらから応援しています。

(「ポケモンに選ばせる」というところが人間本位に思えたので、いつもの自我中心主義(エゴセントリズム)の話へ持っていく)


アレルギーを考えずにきのみをポケモンに使う人間について。

タブー視されがちな内容ですが、勇気を出して切り込んでいただきありがとうございます。ポケモンのみならず、きのみにも巨大な利権が絡んでおり、件の問題は悪戯な市場主義が生み出した資本主義の膿と言えるでしょう。ご存知のとおり、塾帰りのマナブやミニスカートのミカから金を巻き上げる輩が絶えないほど社会秩序は崩壊しており、現代は紛れもない無政府状態です。そのため意図しない自由放任主義(レッセ・フェール)のもと、"自由"経済が時代の趨勢となり、トレーナーのエゴセントリズムを後押ししている状況です。元来、承認欲求や支配欲は金になりやすく、その需要は昨今のバトル・コンテストブームに乗じて加速し続ける一方です。きのみの生産・販売元は大会やイベント主催と共謀し、規制がないことにかこつけ、トレーナーにその欲を煽るばかりです。神の見えざる手がどうなったか知らないのでしょうか?生命倫理をも踏みにじる経済体制に断固NOを突きつけましょう。きのみにNOを突きつけましょう。本当に必要なのはアルセウスが遣わした水、水素水です。

(そろそろ反対も飽きてきたので賛成コメントにする。きのみを規制する話からアダム・スミスを思い出したのでそれ系に。書き終わったあと、タイムリーにもぴよぴーよ速報でケインズが登場したことを知り草を生やす。またこのあたりからオチにネタを入れたがる)



ポケモンをめぐる規制について。

筆者は「囚人のジレンマ」をご存知だろうか?ゲーム理論における重要例題だが、個人あるいは個ポケモンの独立した自己決定権の元では、目的合理的な行動が不合理な結果になるというものだ。すなわち、人とポケモンの独立性を重んじる行き過ぎた民主主義は愚かな帰結を招くことになる。加えて、記事から伺える「ポケモンが可哀想」という考えは、憐憫や同情といったパターナリズム的発想であり、強者が弱者を見下している精神構造を隠しきれていない。感情論で物事を語れるほどポケモン社会は甘くない。それこそ「メガフーディンに政治的決定権を与える」なんて法律を作ってみてはどうか?そのほうが人・ポケモン双方に恩恵をもたらすのではないだろうか?

(再び規制の話がきたので、今度はゲーム理論に絡めて。また「ポケモンと仲良く」「ポケモンと共存」の話からパターナリズムを連想)


デモに利用されるソーナンスについて。

主張には概ね同意するが問題の根はより深い。「ソーナンス」という音声自体はシニフィアン(意味されるもの)であり、それに対して人は自身の主観を通してシニフィエ(意味するもの)を見ることになる。つまり、「ソーナンス」が全肯定に聞こえてしまうのは人の勝手な思い込みであり、人はフェティシズムにより作られた共同幻想に飲まれているのだ。ただし量子力学のミアレシティ解釈によって客観的観測には主観が影響することが明らかになっているため、純粋なシニフィエを抽出することは難しい。それでも我々人間は一度、ポケモンを都合よく恣意的に解釈していないかを見つめ直す必要がある。「ポケモンを人間の道具にするな」と叫ぶのは簡単だが、それ以前に人間が人間自身のこういった性質を自覚し解釈思考を変換しなければ、根本的な解決は見込めない。イシツブテの「ラッシャイ」を聞いて大爆笑する小学生をこれ以上増やしてはならない。

※ ミレアシティ解釈はコペンハーゲン解釈のパロディ

(記号や解釈論などの概念を思い出したので、頑張って話をすり替える)


コンテストに出没する厄介ファンについて。

パッチールの模様が個体ごとに異なる理由を、かのダーウィンは「性選択説」で説明した。同様にして、人間の前頭葉が他のポケモンに比べ不釣り合いに大きい理由をこの性選択説を下地にて「求愛行動説」と捉える考え方がある。人間は異性に選択されたいがために、創意工夫を凝らすうちに前頭葉が発達したというものだ。よっておいしい水おじさんの様々な独創的アプローチは、人間の進化の副産物であり、生物学的に全く正常な行動なのだ。そもそも下位ランクコンテストの収益の大部分はおいしい水おじさんのチケット売上や物販売上であることを踏まえると、彼らを排除することは単純にコンテストの利益を損なう不合理な行動であり、ひいては人間進化を否定する愚行である。ポケモンの美しさを競うコンテストの記事で、人間の愚かさが見えてしまったのは非常に残念だ。おいしい水おじさんは決して嫌悪されるような対象ではない。前頭葉を使えばわかることだろう。

(思想主義的なネタが切れてきたので、厄介行為を科学的セオリーで無理やり正当化する。ラストのオチが浮かばなかったので、皮肉的捨てゼリフを吐いておく)


...はい、というわけで具体的な意見を全く言わないこじつけジョークコメでした笑 
ポケモンネタを混ぜるのが難しい。

学術概念を沢山散りばめたので、興味がある人はリンク先を見てみて下さい。高校生は小論の勉強になるかも??


ちなみに、元ネタ本は以下。どれも一般教養を学ぶにはオススメです。とくに一番目は今回のコメントで大活躍しました。


この他にも教養系なら以下のシリーズもオススメです。


他の人のノリノリコメントも、見ててとても楽しかったです。プロフィールが凝ってる人も多く最高でした(「テンガン山の真実に目覚めた者」を見た時は爆笑しました)。


それにしてもあんな記事を書いたのは誰なんだろう??

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