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sosoの素(34)

今を楽しむ

春がやってきた。
草花がぐんぐんと育ってきて、芽吹き、花をさかせる。
暖かくなりぽかぽかした陽気に花粉症のない僕はほっといても心うきうきする。梅が咲いて、ミモザが咲いて、タンポポが咲き、桜が咲く。

たまにゆきちゃんともしも今死んだらどう?なんてことを冗談半分で話すことがある。そしてその都度、みんなを残していくことは可哀想だけど、僕自身の人生で考えると死んじゃったんならそれは仕方がないなーと結構ドライに思えるの。みんなを残していくことだけは本当に心残りだけどね。
死生観とかそんな大ごとではないくて、毎日毎日一生懸命自分の人生を歩もうとしている実感があって、やりたいことや目標はもちろんあるんだけど、死ぬ前にこれだけはしときたい!みたいなことはあまり思いつかない。きっとそれを思いついた時には「いつか」ではなく、今からそれをやろうとしてるのもそう言った考え方になる一つの要因にも思える。
でもきっと死ぬ瞬間には死にたくない!て思うんだろうね。そんな自分でありたい。

学生時代、東京の展覧会を見るために宿代をうかせるため家族ぐるみのお付き合いのある方のお家に泊まらせてもらったことがあった。その時に話の流れで「忙しいからなかなか時間がない」ってことを会話の流れの中でぽろっと口にした時に少し厳しい口調で「自分の時間は作らないと作れない」と言われたことがあった。僕としては会話の常套句でなんとなく自分がやらないことを自分で見ないよう、そして人に指摘されないように口にした言葉だったけど見事に指摘された。それから僕は自分の時間は自分で作るものだと胸に深く刻んでる。

大人になればなるほど、自分を守るための言い訳がうまくなる。それを言わなきゃやってられないってことも確かにたくさんある。だけども真剣に向き合わず現状から目を逸らしてることの方が多いんじゃないかな。
僕は個人事業主で一人で仕事をしているから、どんな進め方をしても、サボってもダラけても誰かに怒られるわけじゃないし、例えお客さんに対しても言葉を濁して専門的な話を出して煙に巻くことだって難しいことじゃない。今までそんなことをしたことがない!と胸を張って言えるわけじゃなく、たくさん失敗してモヤモヤを残してしまったことがあった。だからこそ自分を厳しく律して失敗して謝罪をすることがあっても言い訳をしなくていいような進め方を心掛けていて、初めから丁寧に説明したり、相手の立場に立ってどうすればいいかを想像して仕事と向き合ってる。

ちょっと厳しい話になってきちゃったけど、やってくるかどうかもわからない「いつか」に期待をするよりも、目の前にある「今」を感じながら楽しめるといいよね。今を疎かにしてしまうから過去も未来も疎かにしてしまう。
それは人間関係も仕事も同じで、今持ち得るものを大切にしながら新しいことにチャレンジしていけるといいんだと思う。
10年後の自分が頑張るより今の自分が頑張った方が10年後の自分にとっては良い時間が待ってるはずだから。

春の喜びは厳しい冬を越したからこそ味わえる喜びなんだと思うのです。

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