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sosoの素(89)

毎日が定休日

僕には定休日がない。
唯一決まったタイミングでお休み気分になれるのは息子のサッカー教室の応援の時くらい。どんなに忙しくてもその時間だけはのんびり子供たちが頑張ってる姿を眺めて微笑ましいなーと穏やかな気持ちになってる。

じゃあそれ以外はずっと働いてるのかと、言ったらそうでもない。

どうしても観たい映画や展覧会があれば平日に仕事を休んで観にもいくし、ゆきちゃんとランチした後に買い物にいくこともしばしば。
仕事の合間を縫っては楽しんでいる。それを周りから見ると決まった定休日(お休み)がないからずっと働いてるように映るだろうし、僕も休みってあります?て聞かれるとないからないと言ってしまってすごいですねなんて言われてしまったりもする。
飲食店みたいに毎日お客さんに来てもらう職種なら定休日を作ってるだろうけど、一人工房で制作しているだけだから自由なのです。

この感じはなんだろうかと思うと主婦に似てる。
例え外食をしたとしても休みって感じでもないし、1日ゆっくりしとこうかな?と思ってもやっておいた方がいいなと思うことが目につくとやっておこうかとも思っちゃって手を動かしちゃうし、ゆっくりしててもただいまーって子供が帰ってきたらいつものペースになってしてしまう。
結局ゆっくりしていてもやらないといけないことは終わらないし、溜まっていくだけ。
僕はやらないといけないことを残してゆっくりしていても頭の片隅で気にはなってるから、ゆっくりするよりもやることやって少しホッとした方が休んだ気になれる。

僕の仕事は身体を使うことは使うけど、仕事をしてるだけで全身ムキムキ筋肉マンになれるようなことでもない。同じ動きばかりで局部的に疲労が溜まるもの。毎日毎日へろへろになってもう動けないなんて日は年に数回くらいなもんでそれも最近は無くせないかとやり方、考え方を変え始め本当に減っている。
自覚する疲れの原因は肉体の疲労よりも精神的な疲労のことの方が多い。
肉体的な疲労はゆっくりすることが一番だけど、精神的なものはゆっくりしていると僕の場合不安が不安を呼んで膨れ上がってしまう。
メールの返信が滞っていたり、オーダーの方のものをお待たせしてしまっていたり、卸のお店への納品が遅れていたり。待たせたり遅れてること、溜まってることが僕にとって本当にストレス。だからゆっくりするよりもそれらが済んでしまう方が僕の気持ちは解放される。

僕にとって物を作るのは日常。やらされてるわけではなく自分でスケジュールを組んで考えて、制作するたびに自分の作ったものがかわいいかどうか観察して一喜一憂してそれが誰かの喜びになって我が家の生活を支えている。
家事が少しの息抜きや手抜きはできてもそれを止めることができないのと同じなので、できる限り気分良く作り続けれることが幸せなんだと思う。

「暮らしが仕事、仕事が暮らし」
河井寛次郎の言葉。僕なりの解釈では仕事/プライベートと切り離すのではなくその両方が綯交ぜになった中に自分がいることが自分の人生を歩んでいるということかな?と考えています。

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