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sosoの素(28)

心と身体と頭のこと12

自分の中に暴れだしそうな要素が減って、周りとも衝突がなくなり穏やかに過ごしている。こんな時間が続けばいいなと願いながらもこの状況にあぐらをかかず、まだ見落としてること、改善できること、より良くなることはないかと自分を常に疑い続けてる。そうしないと新たな問題が出てきても気づけないし、ちょっとのことで今ある平穏なんてなくなってしまうんだとも思ってる。
心って身体や頭に比べると認識がとてもしにくくて、それでいて自分でコントロールもしにくいから結構厄介もの。経済みたいな効率や数字も基にするものとは相性が良くなくて近年蔑ろにされてきたけど、良くも悪くも人を動かす要素の一つは心だからやっぱり人にとってはなくてはならないもの。
心をどうあつかうかで頭や身体の使い方が変わってくる。

心穏やかに過ごせれて心についてゆっくり考えれる余裕が出てきたとき、人には心を入れる容器みたいなものがあるんじゃないかと思えてきた。そう仮定すると心の存在を可視化できてくる気がする。

おちょこのように小さい人もいればビールジョッキのように大きい人もいそう。小さな人は少しのことで怒り出すだろうし、大きい人はおおらかでどっしり構えてそう。でも熱々のものをお猪口に入れても割れないけどガラスのビールジョッキだと割れてしまうかもしれない。量だけじゃなく質によっても保てる心の状態が違う。
ビニール袋だとたくさん入りそうだけど、小枝に引っかかっただけで穴が空いて漏れてくるし、何十回何百回も繰り返し使うと裂けてきそう。一度壊れてしまった心の容器は簡単に修復できない。これを鬱と呼ぶんだろう。
ただただ大きくすればそれでいいわけじゃないんだとも思えるね。
また容器の中に満ち満ちに満杯にして心を満たしてても、少しの風や揺らぎで溢れてしまうからほどほどに満ちてるくらいがいいし、少なすぎるとすぐに蒸発して空っぽになってしまう。
墨汁のような真っ黒な悪意みたいなものが外からやってきた時、小さな容器ではすぐに真っ黒に染まってしまう。大きな容器だと気がつかないほどの汚れで済むけど大きいから染まりにくいけどそれが過信になって気がつかないうちに汚染されて手がつけられなくもなっちゃいそう。
清らかなものが流れ続ける環境や浄化装置のようなものも必要だよね。
そんな感じで想像していくと心ってものが少し理解できるように思え、どうやって寄り添うべきかがイメージできそう。
たまには満ち満ちになっっちゃって抱えきれなくなって涙とともに溢れることも心の浄化になっていいことなのかもね。

心の容器は生まれ持った環境などで本人の意図と関係なくある程度決まってくる。育った場所や親兄弟、友達の影響も多大に受ける。ある種の才能に近いもののようにも思える。それを言い訳にして気にすることもなくそのままにしてたらそれまでだけど、心穏やかに過ごしたいと願いながら心と寄り添い、少しずつ自分にとって心地よい環境を整えていくと、のびのびと健やかに育っていくのも心の容器の面白いところ。

身体も頭も心も一度でドン!と変われるような特効薬はないけど、毎日ちょこちょここまめに掃除していくと驚くほど気持ちのよいものになる。

自分のことだからやっぱり心地いいのがいいよね。

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