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SOSOの素(5)

自然との対峙

草刈りはゴールデンウィークあたりから3週間に一度くらいのペースでしています。1ヶ月に一度ならキリがいいのになーと思うけど、1ヶ月しないと結構伸びて雨が降ると靴が草についた雨で結構濡れるのとさっぱり感がないので遅くても3週間に一度くらいに夏場はなってくる。忙しくて草刈りができない時は外を見ていてもモヤモヤしてくるし、草も伸びれば伸びるほど草刈り自体が大変になる。
工房の外はだいたい200坪くらいはある。そして大家さんの空き地が工房をぐるりと囲むようにプラスで300坪くらい。本来なら大家さんの空き地は頼まれてもないのでやらなくていいんだけど、自分のところだけ綺麗にしてて他のところはしりませんなんて思っても草まみれだとやっぱり眺めはよくない。sosoの素(2)の整えるでも書いたようにさっぱり綺麗な眺めは本当に気持ちがいいしおおらかな気持ちにさせてくれ落ち着かせてくれる。だから大家さんの空き地も草を刈っています。広さでいうと大家さんの空き地がメインになってるけど。
草刈りはだいたい朝一からやる。その日は起きた時から結構気合が入っててちょっとワクワクもしている。まるでゴルフにいくお父さんたちのように。
そしてエンジン式の草刈り機で半日ほどかけて草を刈って行く。
毎年毎年草刈りをこまめにやっていると伸びてくる草の種類や生え方が変わっていることに気づく。そして敷地内でも草の種類が違うのは何だか面白い。もしかしたら他のところも知らないだけで、雑草も生存競争をしながらその環境にあった草が生えてきてるんだろうなと思うと素直にすごいなーと感心する。そしてその生命力で育ちすぎると僕ら人間にとってはちょっと厄介にもなるけど、こまめに草刈りをするだけでさっぱりとした気持ちい風景になる。

話は変わって、我が家には薪ストーブがある。豪雪地帯でも山でも北国でもないけど古い家はとにかく寒い。この家に引っ越した最初の冬は家の中でダウンジャケットを着てストーブと足湯しながら暖をとっていたけどしもやけだらけになった。外の方が暖かい日も多かった。そんな冬だったので次の年には薪ストーブを設置した。初めに設置したものは安価なもので煙突もぺらぺらの薄い筒状になってるだけのもの。薪ストーブの前にいけば身体が暖まれたのは本当に幸せだったけど、部屋全体を暖めるほどの力はなく、5年ほど使ってから今の大容量の本格的なものに交換した。それはそれは暖かく今ではどの季節でも冬が来るのが待ち通しいくらい。
薪ストーブには薪が必要。木を切って1年ほど乾燥をさせて初めて木が薪になるのです。だから薪を作ってる時は来年の薪の準備をしてることになります。僕の住んでるところは住宅地で山や森などはない。なので薪になる木を集めるのは容易じゃないからいつもアンテナを張っている。造園屋さんがチェーンソーを使っていたらチャンス!とばかりに声をかけて倒木したものをその日のうちにもらって帰る。そんなことを繰り返していると僕が薪を欲しているのを近所の方も知ってくれて、最近は木を切る前に声をかけてくれたりしてありがたい限り。先日も神社で切った木を町内会の方々が取りに来て欲しいと声をかけてくれた。そんなご近所付き合いも薪作りのおかげ。
倒木された木をもらって来る時はだいたい2mくらいの長さの状態でもらうことが多い。初めから薪で使える長さに切ってもらえれば嬉しいけど、タダでいただいてる以上贅沢は言えない。なので工房前のスペースに積み上げ、薪ストーブに入る長さに切ったり、太いものは長さを切ったあと斧で割る。割った薪の方が乾燥も早いからできるだけ割るようにしている。
木を切る時はほぼチェーンソーで切る。これが大変だけど楽しい。危険な道具を気をつけながらどうやって切ろうか悩みつつどんどん切って行く。相手は曲がったり枝分かれしたりして思い通りにはいきにくい。それを加味しつつ、斧で割りやすいような切り方も意識する。どう頑張ってもいい形にきれず積み上げる時に邪魔なものが出て来るのが悔しいけど、できる限り積み上げた時も綺麗になるようにしたい、なんて欲もある。頭と身体を使いながらへとへとになって準備したものは早くて来年なんてところも実は嬉しい。来年使う時にこれはあそこからもらった木だとか、これ大きかったなーなんて思い返しながら部屋が暖まり、燃える火を見えてると幸せな気持ちになる。

草刈りも薪も僕にとっては自然との対峙する貴重な時間。普段便利すぎて当たり前が多くなりすぎてる自分に喝を入れるようなもの。
草は僕のスケジュールなんか関係なく伸びるし、伸びて欲しくない草ほどいやらしく目立たないように伸びる。薪もいつどのタイミングでいただけるかわからない。先日も30分でも惜しいくらい忙しい時に引き取りのお願いをされた。モヤモヤ考えるくらいなら言われてすぐに引き取って仕事に戻った方がスッキリする。木の切り方もやっぱり思い通りにはならない。乾燥のために薪棚に積み上げるの時もどうしても綺麗に行かないことも多い。それだけ自然というのは僕らの都合通りにはなってくれない。なってくれないけど、それとどう折り合いをつけて行くのかが重要だし、楽しみでもある。
だから僕はこの2つの作業をとても大切に楽しみにしている。

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