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sosoの素(112)

ちょうどいいがわからない 前編

先日、息子のサッカーの試合があった。
前にも書いたけど、夏休みに様々な要素が絡み合って息子のサッカーに熱が入り過ぎた僕はそれ以降ほどほどで楽しみながら一緒にやったりやらなかったりの日々だった。

2年生になってから息子のいるチームはまだ勝ったことない。
7人制のチームでそのうち4人が息子と同じく夕方に週3,4くらいのペースで練習にも通ってるからそろそろ勝ってもいいんじゃないない?と他の保護者と冗談交じりでこんなに親もがんばってるんだからねと話していた。

試合はトーナメント制で勝てば4試合ほどできるけど、負けるとフレンドリーマッチがあってどんなチームも2試合はできるようになっている。
息子のチームはほとんどの子がおとなしいく気持ちが表に出ない。いつも試合前から緊張で時間と共におとなしくなって行くのがスタンドから見ても感じられるくらい。案の定今回も整列してる時にはもじもじしながら試合に入り、後手後手に回って点を入れられてズルズル。
親たちはそんな不甲斐ない部分を見て、普段通りできればもっとやれるのにと歯がゆい気持ちで声援も大きくなって最後は注意を受ける始末。
試合後コーチに子供達は無気力な姿勢を叱られながらいつもの力が出せれば一方的な試合にはなってないぞ、もっとやれるだろ!と喝を入れられた。
フレンドリーマッチの2試合目、開始と共に1試合目とは違いどんどんボールに向かって行って初勝利することができた。

試合に勝てたのは嬉しかったけど僕の中でなんだかすっきりしない気持ちが残っていた。その気持ちがなんなのかはっきりしずモヤモヤを抱えてた。
すっきりしないまま次の日、同じチームの1年生3年生の試合があったので見に行くことにした。
自分の子供が出ない試合。スタジアムの上から全体を眺めながら子供達が一生懸命の姿をどちら贔屓になることもなく応援してて、あーサッカーて楽しな、子供達みんな輝いて見えるなんて思っていた。
それを思うと前日はなんとか頑張ってきた息子たちを勝たしてやりたいと気持ちが入れ込み過ぎていたことに気がついた。
そしてその入れ込み過ぎた気持ちに自分たちで振り回されて勝手に期待してもっとできるのにとがっかりしてモヤモヤしていたのだ。
そして冷静に前日の試合のことを考えると練習ではできても試合に出せない時点でそこが息子たちの実力で、それ以上でもそれ以下でもないんだと気がついた。

サッカースクールでは同じ2年生なのに大人顔負けのプレーをする子もいる。
それを見てると息子にももちろん同じ可能性が秘めていて頑張ればいくらでも世界は拓けて行くという思い込みや他者と比較して息子を評価していることも僕の自身の気持ちの置き所が難しくなった原因のひとつだった。

息子にはプロのサッカー選手になってほしいわけでもない。
ただサッカーが好きでいて、中学高校くらいまで部活として続けて強豪チームじゃなくてもその時の仲間と喧嘩したり馬鹿騒ぎしたりして楽しい時間を過ごしてくれたらそれでいい。
もしも本人が本気で上を目指すならできる限りのサポートをするつもりはあるけど、サッカー経験者でもない僕が教えられるのはほとんどなくて一緒にボールを蹴ることとお腹いっぱい食べさせてやることくらいだし、今行ってるスクールのコーチたちは本当に一生懸命教えてくれてるので技術的なことはそこから学んで考えていけばいいと思うと肩に入っていた力が少し抜けた気がした。


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