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sosoの素(35)

無理なものは無理

幸せに、穏やかに過ごしたいなーと思ってる。
少しの名残惜しさを残しながら布団から起きて、毎日同じメニューの朝食とコーヒー。手間や労力のかかる仕事は午前中にして、お昼休憩。午後も着地に向けてゆっくり負荷を減らし、おやつは食べたり食べなかったりしていつも通りの時間に終わる。帰ったら賑やかな家族の輪に入り、お風呂に浸かる。毎日作ってくれる特別じゃないことが特別な夕食をいただいてゆっくりしながら眠りにつく。
そんな毎日にたまにお出かけやイベントがあるくらいでいい。

そう思いながら、そんな時間を過ごすために今まで書いて来たことを中心に日々と気持ちと心を整えていこうとほどほどに頑張ってるおかげで結構良い時間が多い。

が、しかし。あえてここは少し強めの否定としたいところ。
どんなに気をつけていてもその日々を崩されるような出来事は起きて来る。

モヤっとすることがまずは起きないように日々心がけている。
悪口を言う人の近くに行かなかったり、威張り散らして偉そうな人とも関わらないように。自分が出来る範囲のことはなるべく早めに済ませて、やらないといけないことを貯めておかない。
もしもモヤっとすることが起きてしまった場合、中途半端な宙ぶらりんが想像力がどんどん働いて被害妄想を大きくするからその原因となることに対して踏み込むもしくは見えなくなるところまで逃げる。踏み込めばそれ相当のストレスは掛かるけど言葉足らずのすれ違いだったりすることもあるし、お互いの言い分がわかると案外スッキリもする。それができない相手とは逃げれるなら逃げるのがいい。

あくまで理論の中のお話で、そうもいかないことも現実は多い。
こちらが心開いて話しても曇ったレンズでしか見れない人もいるし、自分が一番正しいと周りを否定しかしない人、相手に嫌なことをすることでしか自分が嬉しくならない人。人と人との重なり合いで社会ができている以上、避けられない問題で、僕も少し前にそんなことが続いた。
頭ではわかっていても相手の自己中心的な考えや振る舞いに心はひどく傷つけられ、なんであんなことを言われなきゃならないの?なんてことが毎日頭の中にあり、モヤモヤが積み重なっていく。
そんな気持ちでいるのも嫌だからなんとかできないかと、心が整うようなことを試してみても故意に傷つけられた心は簡単にはいかない。
傷ついたのと傷つけられたのは大きな違いがある。
それらは時間や周りの助けによって徐々に癒えてくれたけど、無理なものは無理なんだと思った。

どんなに気をつけていてもそんなことは起きて、分かりやすい解決方法もないことが多い。寒さに耐えていつかくる春を待つ植物のように静かに抱え込む。それまで抱えていたモヤモヤが晴れた時、春の喜びに心躍らせるのは冬の厳しさがあるからなんだとも思うのです。
それでも日々を整え、穏やかに過ごせるように努めていることでそれらのことは上手に浄化できるから毎日のことも怠らずに、淡々とそして楽しくすごぜていると、ささくれのような出来事も治りが早くなるはず。

心のささくれまみれの人とは関わらず、自分にささくれができた時、気になるけど触らずゆっくり見守って治っていく自分の力を喜びたい。

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