拝啓 コミュニケーションデザインという殻を被ったエゴの塊へ
ある日のこと
「ここはこっちの色合いがあってていいよ」
「この部分は寄せたほうがかっちりとした印象になるね」
「この枠は少ないほうが目が引きやすいかな」
「この文字はこの書体でまとめたほうがバランスがいいね」
「これはバランスが良いのですか?」
これは、ある新人デザイナーと私の会話を抜粋したものです。
私は印刷会社のグラフィックデザイナー・アートディレクターとして12年間働いています。4年程前には、クリエイティブワークで安定・伸長するための課を立て、課の長として若いスタッフを雇い、これまでに10人近い人たちに、「デザインを指導する」ことをしてきました。
印刷会社のデザインは基本的にコミュニケーションデザインの領域で、何かの目的…たとえば、商品を売りたい、そのために紹介したい、その紹介を分かりやすく、見やすく表現する…みたいな繋がりをグラフィックで解決するような仕事です。私はわずか12年ですが、それでも数多の印刷物などに携わり、自分なりに試行錯誤を重ね、お客様に喜ばれるロジックを自分の中に有して仕事をしています。
若いスタッフを雇えば、イロハのイから教えることになります。そんなことをしていたある日、冒頭の言葉が飛び出しました。
「これはバランスが良いのですか?」
この質問に即答すべきところを、即答できなかった自分にぶつかりました。
デザインの正しいって何だろう
そもそも、誰かバランスの正解を数学的・科学的に証明したのだろうか。黄金比なども存在するわけですが、それは万人が理解し、共感するものなのでしょうか。
デザインを指導するという行為はとてもエゴに満ち溢れています。
私はたった12年、自分が経験したデザインを「正」として若いスタッフに指導することで、自分のコピーを作ろうとしているのです。ビジネスとしては間違っていないことですし、デザイナーは元来、どちらかと言えば師弟関係のような世界です。やりかたは間違ってはいないはずなのです。
でも、自分が間違っていたら、間違いを教えていることになるのです。
そのバランスは、その色合いは、そのデザインは正しいのか?私はそんなぼんやりとしたものを教えて、クローン化して、実はとっても罪なことをしているのではないだろうか。そんな恐怖感に襲われます。
憧れってありますか
学生時代、私が初めてデザインに感動したのは葛西薫先生のgreen label relaxingの広告でした。私が初めてワクワクしたのは、服部一成さんのケーキでした。私が初めてクールだと思ったのは野田凪さんのPVでした。私が初めて関わってみたいと思ったのは、廣村正彰さんのピクトグラムでした。
そんな素敵で、ドキドキするデザインに憧れを抱き、全く持って嫌いだった美術を必死に練習し、底辺から這い上がり、会社でデザイナーになってからは周りの2倍働き、毎晩徹夜、時に倒れたり、目がかすんだり音が遠くなったり、髪が抜けたりしても、経験値ですべてをカバーし、あこがれの仕事で人生に満足したいと思い頑張ってきました。
そんな、素敵なデザインと出会い、努力でセンスをカバーした12年間を過ごした私は今、
1円でもスタッフの足りない給料を増やすために、限界利益とにらめっこしながら、バナー1枚作るような仕事からこなし、えらそうに若い子にデザインを指導しつつ、自分はミスを営業と共に客先で謝罪し、納期に追われ、嫁を大切にしない最低の夫として土日も仕事に出て、相変わらず徹夜したり、始発出社したりし、近頃は趣味からも距離を置いて目の前の終わりなき山を登り続けているだけの日々を過ごしています。
私がやりたかったデザインってこんなだっただろうか。
そして、こんな私が生み出したデザインは、誰かを感動させているのだろうか。
恐怖心との闘いはデザイナーの姿だろうか
そんな感情が毎日渦巻く中、それでも時間は1秒すら待ってくれないので、とにかく引き続き頑張っています。
本当にやりたかったことは、これだったのか、正直わかりません。
今、デザイナーを目指している学生の方がいたらぜひゆっくりとお話を聞いてみたいなぁと思います。あの頃の自分と、重ねてみたい。
そして、
道はまっすぐ、前を向いて、頑張ってほしいなぁと思います。
…取り留めのない駄文になりましたが、noteは元々そういう駄文を書きたいから始めたものなので、ご容赦ください。読んでくださった方には感謝。明日も早いので、今日は寝ようと思います。
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