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世界一周の意味が変わったんだ、たぶん。

最近フウロと家でワインを飲みながら、世界一周のことをよく話す。手元にはスペインの白カビサラミ、フエ。イタリアの赤ワインを傾け目をつぶれば、バルセロナでお世話になったカルロスさんのお家にトリップ出来る。

でも、もうあの時のスペインも、僕らの自由も、どこにもない。

コロナウイルスが変えたのは、行動だけではなく、世界そのものではないかと思う。


スリランカで出会ったマハジさん、バルセロナのカルロスさん、サハラ砂漠のオットマン、ハワイ島のサンシャイン。世界を旅して僕たちに好意をもって接してくれた人たち。いつかまた縁が巡ってもう一度あの場所にいくことが出来たら、どんなに楽しいだろうかと想いを馳せていたけれど、きっと再会したところで、僕たちと善意の人たちの間にはもう埋められないディスタンスがある。ソーシャルディスタンスがいかに縮まろうと、頭に刷り込まれた恐怖や恨み、疑念のそれはどんなに肌を触れ合ったとしてももう届かない。

だから絶望して、もうあの頃は戻ってこない。終わりだなんて言うつもりは無いけれど、ただ、これが絶望も希望も併せ持つ人生なのだと言い聞かせている。僕らは人生最大の夢だった世界一周を無事果たしてきた。その代わり、最愛のペットを失った。旅行中にも天国と地獄を味わった。ただ、あれさえもコロナという驚異においては、ミクロの視点だったんだと驚いている。

いつかなんて、本当に"どこ"にもないんだ。今出来ることは1ヶ月後も、明日も、1分後にだって出来る保証なんてどこにもない。いつのまにか色んなものが便利になって、僕らはなんでも出来るような気がしていた。震災を経験した時に微かに感じたあの感情も、10年余り経てばすり減り、日常に溶け込んでしまう。

やろうと思ったこと、それが出来る環境があること。そんなことさえも嬉しく感じられる感覚を大事にしておく。そして、ちゃんとやる、やりきる。運良く叶えることができたら人生の轍を見つめ、色んな形で形に残す。

世界一周なんていうのは、そういうことの最高峰なんだ、たぶん。

僕もフウロも、もう2年も前になるあの時のことをずっと思い出しながら、時々あの時の遺産を切り崩して楽しみながら、これからもずっと抱えて生きていくんだろう。あの奇跡も、当たり前ではない日常の営みも、ひっくるめて人生だ。今日この瞬間、楽しんでますか。



自分がノートで出来ることは、旅の素晴らしさを発信することかなと思います。半年前まで毎日連載していた世界一周旅行記の価格を改訂しました。全114記事、114日間の世界一周旅行を100円で読むことができます。コロナが収束したらぜひ行って欲しい国たち。今もそこで暮らしている人たちの息づかいが少しでも伝われば幸いです。


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