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日々思うだけ#8「利他と利己」

はじめに

こんにちは、霧谷 海兎です。突然ですが、皆さん半沢直樹の最終回は観ましたでしょうか?めちゃめちゃ良かったですね(語彙力)

ストーリーもさることながら、大和田に頭取、瀬名さん、黒崎さん、森山等々魅力的なキャラクターも多いです。

そのなかで、主人公の半沢直樹という男が魅力的に映るのは、自分の信念に基づいて他人の為に動けるからだと思うんですね。作品の中で、銀行のため、顧客のため、国や国民のためというセリフがくり返し出てきます。


ところで霧谷は「めだかボックス」という漫画が大好きです。特に好きなキャラは球磨川君と安心院さんなんですが、それは置いておきます。語り始めると2年ぐらい喋りそうなので。

主人公の黒神めだかという女の子は完璧超人で非の打ち所がありません。仲間のためなら自分を犠牲にすることも厭わないですし、敵すらも嫌いになることはありません。お前のやったことは許さないけど、それでも私はお前を嫌ったりはしないみたいなセリフを平気で言っちゃいます。当時中学生だった霧谷少年はこの姿勢に非常に感銘を受け真似しようとしてました。中学生ってやっぱかっこよさげなものはなんでもかんでも真似したくなるよね。。。

しかし、作品中でも黒神めだかの誰に対しても平等にという姿勢は弱点としても描かれています。完璧超人ですらそうなるのです。況や僕をや。

「誰にとっても良い子なんて、そんなのはどうでもいい子と一緒なんだよ」って誰かが言ってた。

利他的であるということ/利己的であるということ

利他的であることは、フィクションでも現実でも美しいものとして語られます。アニメや漫画の世界でも、主人公は大体誰かのために頑張ります。時には自分を犠牲にしてまで。自己犠牲は美徳として語られがちですが、案外現実世界で自己を犠牲にして頑張ってみても、誰にも評価されなかったりとかは良くありますね。現実はフィクションとは違ってすべてが都合よくできているわけではないですし。

学校教育でも道徳の授業で「みんなのために」なんて習いますが、当の教師が自分の都合で児童を理不尽に叱りつけたりなんてことも良くあります。会社や学校でも「みんな頑張ってるんだから~」みたいなことを言われることはあったりしますよね。こうしたセリフは他者を都合よく動かすための綺麗事ですが、フィクションの中の利他と違ってこういうセリフに違和感を持つのは、フィクションの主人公が自発的で利他的であるのに対し、利他的であることを強要しているからではないでしょうか。この発言は他人を都合よく動かすことを目的に行うものであり、利己的なものであると言えます。

強制された利他的行動は、周囲から見ても魅力的には映りませんし、何よりやっている本人が苦痛です。一方で自分の意思で行う利他的行動は、周囲から見て魅力的に映りますし、本人の感情も少なくともマイナスではありません。やっている最中に充実感を抱くことすらあります。その上感謝なんてされたら、嬉しくなりますよね。

それでは、利己的な人間と聞くとどういうイメージをしますか。たいていの人は、意地汚いとか嫌な奴と言うのではないでしょうか。

確かに、行き過ぎた利己心や、周囲を顧みない言動は非難されてしかるべきでしょう。

しかし一方で、完全に利他的な人間というのもそれはそれで怖い気がしませんか?例えば稼いだお金は全て他人の為に使い、困っている人を見かけたら片っ端から全員助け、必要とあれば自分の命さえ犠牲にできる。ほとんどの人はこうはなれないし、なりたくはないでしょう。極端な例を出しましたが、利他的であることを突き詰めていくと、いずれ他人中心の人生を生きることになります。少なくとも、主人公が没個性で何考えてるか分かんなくていつも他人の言いなりになってる漫画とか読んでて面白くないですよね。実際の人生もそうで、主が自分じゃない人生は生きてて面白くないですし、他人から見ても魅力的ではないでしょう。

おわりに

冒頭で半沢直樹の話をしました。彼は確かに利他的に動いてはいますが、確固たる信念があります。自分の正義・信念を実現するために動いているわけです。そうした意味で彼は利己的であるということもできます。

目指すべき姿は彼のようなものではないでしょうか。まずは自分がどうしたいか。そのうえで、誰かのために何ができるか。表面的な誰かのためを追うのではなく、自分と他者がどうすればより良くなれるのかを考えられる人間になりたいですね。


それでは今回はこの辺で。またお会いしましょう。


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