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人は褒められると嬉しいものだ。
男は叩いて伸ばせという昭和生まれならではの教育を受けてきて、長らく褒めても褒められてもいいことなどないと思っていた。

退院後、後遺症もあり腹が悪くなかなか飯が食えずにいたがこれも良い機会だと思いダイエットに挑戦した。
みるみる痩せていく僕を身内は非常に心配したが、少し離れた人には「痩せたね!」「小顔!」などと言われとても嬉しかった。空腹を水でしのぎ体重は半年ほどで20キロ落ちた。

病気中・直後は身体が全体ボロボロで特に皮膚などはかなり荒れてしまって酷い状態だったので、手先や顔面のケアを始めたのもこの頃からだった。

薬局で肌荒れに効くものを買ってみたり、手などは外に見える部分だからそこだけでもマシにしたいとハンドクリームを探し回って色々と試してみたりもした。

約20年ほぼ男ばかりの環境にいたからそれらボディケア用品に対する知識不足だったが、環境が男性社会からやや女性の割合が多くなったこともあり、少しの変化に気付いてもらえることや褒めてもらえること、アドバイスをいただく機会も増えていき、興味のなかった身体の養生にも自然とやる気が出てせっせとお肌を保湿していった。

褒められると満足してやる気がなくなったり努力を怠りがちになる性格だったが、成果をきちんと評価されることでまた更に頑張ろうと思うことがいつの間にかできるようになっていた。

自分に対する投資は無駄だと思っていた。
どうせ顔も10人並だし背丈は平均以下だ。見た目の悪さは勿論だが頭も悪いからろくでもない生活をしている。長生きなどしたくもないから、自分に金をかけることは無意味だと思っていた。とりあえず自分については後回しで他のことで忙しくそんな金など無いと思っていた。

そんな自分が少し褒めてもらえただけで考えを変えるなど想像していなかったのだが、卑屈な自己認識もいつの間にか消えていてお褒めの言葉をスッと受け入れて喜んでしまった。
そして今では新しい評判のハンドクリームを探しては試すのが小さな趣味になっていたりするから気味が悪い。

そういえば最近は他人の間違いや不足に目が行くより優れた部分のほうがよく見え、素直にそれをすごいと感じ言葉にできるようにもなった。
少し前までは視点が真逆だったしそんなことを口にできたことはあまりなかった。
自らの嬉しい体験やそれによって得ている良いサイクルを強く意識するようになったから、ほんの少しくらいは人の気持ちも考えられるようになってきたのか。

やはり褒められたいし褒めたい。皆よくやっているし出来ることが多くてすごいなといつも何を見ていても思う。
努力はおおかた裏切ってくるが、そもそもそれが普通なのだからいちいち気にすることはない。
もしうっかり評価されてしまったなら、調子に乗って更に褒められたいと猿になって頑張ってみるほうがきっと幸せなはずだ。

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