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二月二日

2017年1月からスマホアプリのDay Oneで日記を書いている。このDay Oneというアプリはあらかじめ設定した時間にエントリーをするよう毎日促してくれる機能などもあり、大抵のことが三日坊主に終わる性分であれどもう3年も日記を書いているのだなと、過去のエントリーを眺めながらいつも思う。

三日坊主というのは「せねばならぬ」を思いすぎるあまりできなかった時にポキリとやる気が折れてしまうことで起こるのだと約33年生きて実感しているので(しかしその認識はここ1、2年で得たものである)うっかり日記を書かずに2週間ほどたってしまってもスケジュール帳などを見ながら、あぁこの日はこんなことがあったな、などと思い出しながら空白を埋めることもしばしばある。そしてどうやっても何も思い出せぬ通り過ぎた日も多々ありそれは特に気にせず空白のままにしたりもしている。

日記を書き始めたのは当時の友人に自分の悩みの相談をした際、日記をつけて自らの行いを振り返り直すべき点や気づきなどを書き込んでいくことで悩みの解決の糸口を見つけられるのだという話をされたからである。

結局当時の悩みは解決せぬまま消えて行ってしまったが、なんとか解決したいと思ってせっせとつけていたことがいつのまにか習慣となり今に至る。

二月二日のエントリーは2017年と2018年の二つがあった。2019年はどこかに消えている。もはや思い出す術はない。こういうものは非常に気になるがいちいち全てを記録していても頭の痛いことまで引き連れてくることもあるから知らぬが仏という日だったのかもしれない。

嫌なことがあったり、その後嫌なことになってしまった事柄が書かれた日記を勢いに任せ消してしまうことがよくある。後から後悔する時もあるけれどDay Oneのリマインドで現れる『過去のこの日のエントリー』で見たくないワードが目に入ってしまったことで一日鬱になってしまったりもするから消してもいいと思っている。記録より何よりまず今ここの心の健康が大切だ。

ちらりと2017年と2018年のエントリーを見たがそれはまあひどい生活で、今こんな風に幸せでいることを非常にありがたく感じる。

思い返せば今から20年ほど前の二月二日は中学受験での第一志望校の受験日だった。都内の中高一貫の有名私立。出来が悪かったのでもちろん不合格となり滑り止めだった埼玉奥地のFラン私立に行くことになって、あの頃から決定的に性格がひん曲がってしまったなあなどとどうでもいいことも思い出した。

今はその時の事も日記につけた2、3年前のことも心底どうでも良いが、辛いことの分量の方が幸せより多いのが人としては真っ当だと思っているので、今のように概ね楽しい日々だとかいえていることの方がやはり異常事態のように感じられて少し怖い。

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