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おばあちゃんといっしょ。 その4

今でも「おばあちゃん、お願い、助けて」とよく心の中で祈っている。

特に今年は、ふっと身体が熱く感じたり、喉が少しでもガラガラすると、「おばあちゃん、お願い、コロナだけは・・・」と祈った。その祈りが通じたのか、幸い今まで無事に過ごしている。

胃カメラを飲む前ドキドキが止まらない時、仕事でちょっとハードルが高いと感じる時、超楽しみにしていた舞台を観に行けなくなるんじゃないかと心配した時、家族の笑顔を祈る時・・・。

それにしても。気がつけば、あと数年で還暦を迎え、今ここに書いている当時のおばあちゃんの年齢に近づきそうな歳なのに、と思う。父が一昨年に他界したので、最近は「おばあちゃん、お父さん、云々」ではあるのだが、やはり筆頭はおばあちゃんだ。

おばあちゃんは、朝夕、仏壇の前で手を合わせる前に、神棚に向かってお祈りしていた。うちには、幅2メートル程の神棚があった。今も実家にある。子どもの頃、友だちが遊びに来ると、まずその神棚に驚き、たまたまおばあちゃんの祈りの時間に遭遇すると、これまた驚いていた。だが、私は生まれた時からその環境にあったので、どこの家にも仏壇と神棚があり、朝夕祈っているものだと思っていた。

親戚のおじさんが息を引き取る直前には、枕元で何やら祈りはじめ、「・・さんの水を欲しがっている」など、すでに虫の息のおじさんの代わりにいろいろと要望を伝えていた(ようなシチュエーションだった)。おばあちゃんには、すごいチカラがあるのだなと、子ども心に思ったものだ。

なぜ、うちに神棚があったかというと、まだおばあちゃんが若い頃、おじいちゃんが謎の頭痛の悩まされ、どうにもこうにもならなくなり、神戸の六甲山の布引の滝に打たれ、祈祷して治した。おじいちゃんに取り憑いていたのは、山のへびだったとのこと。その折にどこかの神様の団体の偉い人からおばあちゃんは、位をもらい、そのへびの神様(?)を祀るために、うちに神棚を作ったそうだ。

と、母に言うと、そんな話しは聞いていないし、そもそも・・・ということになり、この話の信憑性は定かではない。でも、家族の無事を祈る時、朝夕に関係なく、おばあちゃんは神棚に、さらに仏壇に向かって祈っていた。もちろん、私たちきょうだいもおばあちゃんにうながされ、よく手を合わせて祈っていた。

今、うちには仏壇も神棚もないけど、祈りはとても身近なものだ。まあ、かなり一元的で身勝手な祈りではあるけれど。他のひとは、こんなにしょっちゅう、祈ったりするものなのだろうか。

祈りの成果はともかく、大小にかかわらず不安や恐怖に襲われた時に、祈りを持っていることそのものに救われているのかもしれない。無宗教であることが、どちらかというと肯定的にとらえられている日本人だが、個々に祈りを持つことはイイことなんじゃないかなと思う。ますます混沌としてきた世の中だからさ。まあ、私はおばあちゃんにかなり勝手にお願いしているだけだけど、おばあちゃんなら許してくれるはず。

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