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不誠実な正義と誠実な悪意

どうも、それなニキです。

テストも終わったと言うことでnoteを久々に徘徊していたところ、以下の記事を見つけました。

幸さんの記事はDttoの方でもちょいちょい読ませていただいており、参考にさせていただいております。

…なんですけど、この記事については賛同しかねると言うのが正直な感想です。
読めば読むほど「ここは違うな」「いやそれはこの認識のずれが…」と言った感じになりました。

で、まあコメントにしようとしたんですけど、到底収まらないので他の人にも読んでいただけるように修正して投稿という形にすることにしました。

でも基本的には幸さんの投稿への返信みたいなもんです。
くそデカ感想文for you!!
(っ’-‘)╮ =͟͟͞͞□ブォン

前提の確認

まずは前提を確認しましょう。上記の二つの記事では、「男性」に「男性社会(競争社会)」から降りてきてほしいと説き、競争社会から降りた人の魅力などについて語っています。
この「男性社会」について、「弱音を吐かない」「競争社会を生きる」などの記述から、いわゆる「有益な男性性」というものを指していると考えられます。知らんけど。

(旧時代の概念だということを承知で使います)男性的性質から女性に有害なものを差し引いたもの、すなわち強く、弱音を吐かず、余裕を持って他者の面倒を見ることができて、責任感がある、といった性質とします。

この男性性は、決して男性が勝手に重視している訳ではありません。以下にその背景を論じます。

男性性の強要は望まれた世界

まずは、恋愛的側面から考えてみましょう。

もっかい前提確認 男女の恋愛における力の不均衡

先に確認しておきますが、自由恋愛競争において、男性と女性のどちらに優位性があるでしょうか?

いうまでもありません。女性です。

これについて特に証拠とか持ってくる必要性は感じませんが、まあ生涯未婚率の男女比とか持ってくればいいんじゃないかな…

まあ長くなりそうだし詳しくは別の機会にでもしますね。

男性性に対する圧倒的な需要

さあ、そんな優位性を獲得している女性の所望するものは恋愛競争におけるかなり絶対的な価値基準になる訳ですが、今この基準はどうなっているのでしょうか?

自然体な人がいい、趣味に没頭している人がいい、清潔感が、などの記事がメディアに散見されます。
しかしそれは本当でしょうか?

こうしたアンケート結果は、「その道のオタクのいうことを聞いて作品を作ると人気は出ない」という現象に近しい問題を抱えており、なるほどそうかと鵜呑みにするのは危険が伴います。

むしろ、現在進行形でモテている男性の意見を参照した方が、女性がアンケートに出さない本音を反映しているという意味で信頼できます。

そうした意見を見ていくと、相変わらず「有益な男性性」に対する需要が圧倒的に高いことが見て取れます。
それどころか、前提条件として持っていることが当然とされる節すらあります。

身近な男性インフルエンサー(ファッションなどのモテ系で売っている人)を思い浮かべて貰えばわかるかと思います。
深刻な弱音は吐かず、いつでも笑顔満点で、余裕を持って女性をエスコートできる(高身長イケメンもつけちゃおうかと思いましたが、それは恐らく私怨なので一旦置いときます)人ばかりですよね。
韓流アイドルとかでもいいかも。

「弱者男性」という男女平等社会の闇

今度は逆の視点、すなわち「需要のない男性像」についての視点から考えてみましょう。
現代における「需要のない男性像」として挙げられる代表例としては「有害な男性性を持つ男性」と「弱者男性」という2種類があります。

このうち「弱者男性」の本質は、男性性から逃げ続けた人々だと、私は考えています。
社会の不公平さに文句は言い、しかし行動力(しばし男性性に紐付けられる能力です)はなく、余裕がないので他者を攻撃し、収入は低く、また責任感はない。
この特徴、最初の方で挙げた男性性の定義の真反対であることに気づかれたでしょうか?

このような「弱者男性」に対する女性の当たり方は非常に厳しいものです。
男女平等を掲げる人ですら「弱者男性」を叩いたり、見捨てたりしています。
「おじさん」と同じで、前時代の社会的立場からの反動も相まっていくら叩いても大丈夫な、いわばスケープゴートみたいな状態になっています。

こうした前例を目の当たりにしている我々からすると、「弱者男性」になる可能性というのは非常に恐ろしいもので、旧来の男性性を選ばざるを得ない大きな理由になっています。

男性性の強要は現実の世界

続いて、恋愛という文脈から離れ、社会的な文脈から男性性の強要の必要性及び妥当性を説明します。

資本主義はマッチョイズムの権化

まず、男女関係なく男性性を強要してくるものとして、資本主義の機構そのものが挙げられます。
昭和世代における「企業戦士」然り、現代における転職・起業の奨励然り、マッチョイズム(男性性の尊重)を多分に含んでいます。

逃げればいいと思うかもしれませんが、逃げた場合はそれこそ「恋愛競争」に負けてしまいますからそうも行きません。
加えて、好景気な社会では物価が上がる一方なのに対し、競争に勝ち残らなければ収入も増えませんから、どんどん追い込まれてしまいます。財政難のために公助も共助も期待できなくなってきていますから「競争から外れて生きる」と言う生き方を社会的に許容しない・できない状態になりつつあると考えられます。

「男性性」の権化たる汚れ仕事の必要性

むしろこっちが本題です。

ここでいう汚れ仕事とは、戦闘(戦争)・災害救助などの、男性性を非常に強く要求する仕事のことを指します。(苦痛や恐怖に耐える仕事ですね…)
こうした仕事は、社会に必要不可欠でありながら、その遂行能力を持っているのがほとんどの場合男性のみであり、そのために場合によっては男性に強制する必要があります。

んな極端な例を…とお思いの方。
ウクライナの出入国禁止制度をご存知ですか?

ウクライナは現在、ロシアとの戦争から男性が逃げると兵士が足りなくなったり士気がガタ落ちして敗北してしまうため、18歳から60歳の男性の出国を禁止しています。
ウクライナの兵士は自発的に戦いに参加している人ばかりではなく、やむをえず参加している人も数多く存在するのです。
(これを知らないで「ウクライナ兵がんばれー(棒)」とか言ってた自分を◯したい…理不尽に負けず強く生きてくれウクライナ兵…)

韓国の徴兵制度もそうですね。憲法には国防の義務が記載されており、兵役法には男性は義務、女性は任意でこの義務を遂行するよう定められています。(韓国ではミソジニーが他国より強くて男女間の断絶が激しいと聞きますが、そりゃあそうなるわなぁって感じがします。)

別に女性にこうした役割を背負ってくれとは言いません。でも、そうした役割を押し付けているという事実は認識してほしいですね。

女性で言うと妊娠出産などがカウンターパートになるのでしょうか。
まあ出産が義務って言われてるようなもんです。

戦争や災害の被害を根絶できればそれは一番いいんですけど、後者はもちろんどうしようもないし、前者も無くすのは不可能だと私は考えます。
我々の想像する「戦争のない社会」って、それすなわち「我々のイデオロギーが社会全体で未来永劫支配的である世界」が前提になってしまうわけで、ちょっとそれは無理だし、傲慢が過ぎるわけです。
我々は我々自身が生み出した社会の歪みから生まれた新勢力と戦い、そのうちのどれかにいつか取って代わられるのが定めなんじゃねぇかなぁと言う気さえします。
そしてそうなった時、矢面に立たされて手を汚すのは男性なんですよね…

男性性から逃げてもいいが…

以上のような理由から、男性と男性性の関係について、私は

男性は男性性から逃げてもいい。
(ただし、逃げた場合は恋愛競争からは外れ、社会のスケープゴートとして皆から非難され、経済的にもキツくなるけどね。)
(それに、いざという時には男性性は強制的に背負ってもらうからね。)

という状態にあると考えています。

でも、建前上は「男性が勝手に男性性に固執してるんだ」ということになってます。
うーん。こりゃひでぇや(´・ω・)


行き過ぎた一般化と真意からの乖離

ここからは謝罪フェーズでーす。

これだけなっっっがい議論を展開しておいて申し訳ないんですが、以上の議論は私の壮大な勘違いからきている、ということが考えていくうちにわかりました。

そもそも幸さんの真意はなんであったのか、それを綺麗事抜きで一言で表すなら

強者・愛する者は「男性性」を捨てて良い

ということだったのではないでしょうか。

すなわち、

そもそも弱者は対象にしていない

とも言えます。

ちょっと残酷にも見えますが、しかし考えてみりゃそれはそうなんですよ。
だって、今回挙げられていた漫画などの例は

  • すでに恋愛的・社会的な強者の地位を持っている者

  • 愛してくれるものがいるために、(恋愛)競争社会から降りても問題ない(むしろ降りてほしい?)状況が確立している者

  • 挫折した後に、しかし諦めず立ち上がる男性的強さ(有益な男性性?)を持っている者

が対象となっています。

それに対して私は

  • まだ恋愛的・社会的に弱者の立場にいる者

  • 愛してくれる者がいないために、(恋愛)競争社会から降りると多大な不利益を被る者

  • 挫折した後に立ち上がることのできない(昔は女性性の一部として分類された)者

を『男性』というクソデカ主語故に含んでしまったわけです。

(勝手な推測ですが)幸さんからしたら、本論について「いや、そういうこと言ってんじゃないんよ。」という話だったかもしれません。
だとしたらすみませんでしたm(_ _)m

その上で、どうしてもこのように投稿の形にしたかったのには理由があります。

それは、本論でも述べましたが、

「男を追い込む社会は、必ずしも『男性の、男性による』社会ではなく、多くの女性によっても形成される世界ではないか」

と、言いたかったんです。

男性に男性性を押し付けること自体を悪だとは言いません。
それは生物学的な男性性によく合致していますから、そうなってしまう理由も、あるべき理由も十分にあると思います。

しかし、そうした実態から目を背けて「自分は正義、被害者、第三者だ」と主張する姿勢は、私には誠実だとは全く思えません。

言ってしまえば詐欺です。正直者が痛い目を見るのです。

むしろ、「男性には男性性を期待している」ということを正直に言ってくれた方が、不平等ではありますが誠実だと思います。

以上、クソ長読書感想文でした。
読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

そして幸さん。
めっっっっっっちゃ失礼しました()

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