【SH考察:088】テレーゼが青の差し色がある黒き貴婦人である理由
Sound Horizonの楽曲に登場する母親のなかでも、ひときわその意志の強さが印象的な女性、Therese von Ludowing。
彼女は差し色に青が入った黒い服を身にまとっており、暗い森で目立たず過ごすには一役買っていただろう。ただ、その服の色に込められた他の価値観の可能性が考えられたため、今回まとめていこうと思う。
対象
Prologue Maxi イドへ至る森へ至るイドより『光と闇の童話』『彼女が魔女になった理由』
考察
黒き貴婦人テレーゼ
イドへ至る森へ至るイドの初回限定版のメロンブックスでの購入特典のカードには、振り返るTherese von Ludowingの姿が描かれている。
そして、その絵には『黒き貴婦人の肖像』というタイトルがついている。
実際、ストーリーコンサートでの衣装でも布地の大半が黒で、差し色として青も使われてはいるものの、彼女を象徴する色は明らかに黒だと言えるだろう。
貴族であるテレーゼという視点
前提として、テレーゼは貴族としてのプライドを持っている。曲中時点では森の教会でひっそりと住むような生活をしているが、もとは方伯家つまり貴族の家柄であり、没落してもなおそのプライドは失っていなかった。
(方伯とは帝国内の一部領地を任された貴族のこと)
つまり、その着衣含めて彼女について考える際には、貴族としての文化や思想に重きを置いて考える必要がある。
私のような今を生きる現代日本人視点では、黒とは喪服の色であると同時に日常の衣服でも選ばれるような、量産されありふれた無難な色だが、そうではなく中世ドイツの貴族文化で生きた女性視点での考察が必要だ。
現実の歴史と照らし合わせると、ルードウィング家がテューリンゲン方伯家だったのは13世紀半ばまで。
それ以降はヴェッティン家にその地位が移った。言わずもがな、重要人物であるElisabeth von Wettinがこの姓を持っている点からこの関係性は無視できない。
"堕ちた"ルードウィング家と栄えているヴェッティン家の存在が描かれている以上、現実に合わせて13世紀~14世紀頃の価値観をベースに考えるのが良いだろう。
黒色に対する価値観
この時代の黒色からは2つの価値観を見出すことができる。
負の感情を表す黒
喪に服す黒
1. 負の感情を表す黒
黒は白と対比して、絶望や嫉妬や不安、そして悲しみの色をとして使われていた。
それゆえに黒い服とはそのような負の感情を表すもので、文学ではしばしば悪役に着せられた。
テレーゼは生前にアンネリーゼへの断罪という名のいわば怒りのような感情と、それと同時に強い罪悪感を持っていた。
これらは彼女が負の感情に苛まれていたことの証左であり、その感情が(テレーゼ自身がそれを意識して選んでいたのかは定かではないにせよ)黒い衣服に現れていたと見える。
また黒色に旧約聖書に登場する原罪を結びつける思想もあった。
12世紀ドイツの修道女である聖ヒルデガルトが提唱したものだ。人類最初の男女アダムとイヴが、悪魔の化身である蛇にそそのかされて、禁断の果実を食べて神の掟に背いたときに黒胆汁が生まれたという。この背徳を原罪と言い、二人は楽園を追われるはめになった。だから黒(胆汁)と悪魔が結びつき、黒と原罪も結びつく、という思想だ。
自身を「罪深い《私》」「贖罪者」というテレーゼに対し、罪の色である黒を着せるという点は納得感がある。
2. 喪に服す黒
現代と同様に、当時すでに喪服としての黒の使用は定着していた。カトリック教のベネディクト修道会の創設者ベネディクトスは、人の罪深い魂に黒色を重ねてみたことで、修道士が着る服に黒色を採用した。それが喪服の由来だ。前述の負の感情の黒の派生とも言える。
しかし、テレーゼは確かに黒い服を着ているものの、私はそれが喪服の意味ではないと考えている。
息子メルツは一度死んだ(死にかけた?)が生き返ったと認識している。そのことと死んだ人のために喪に服す態度をとることは矛盾がある。
メルツ以外の誰かの死に対して喪に服している描写は無く、説明がつかないことから、彼女の黒い服は喪服ではないと考えている。
青色に対する価値観
この時代の青色からもまた2つの価値観を見出すことができる。
聖母の青
民衆の青
1. 聖母の青
青色の価値は12世紀に一気に向上した。キリスト教の中でも重要度の高い人物である聖母マリア(イエスの産みの母)の衣服を青色で描くことが定着したからだ。
青色を作るためには高価なラピスラズリが必要で、その高価な顔料で描くことで宗教的な敬意を示したり、聖母マリアの威光を表そうとした結果だ。
以下は一例だが、実際に聖母マリアに青色がふんだんに使われていることがわかる。
つまりこの感覚をもつと、青色を聖母を著す色としての価値観を持つことができる。
※ただし注意すべき点は、この時代の"青色"が、現代と比べると広義であることだ。現代ならば紫色(すみれ色)と呼ぶような色も、15世紀頃までは青色に含まれていた。
そのため、当時の感覚としては紫(すみれ色)にも青色と同等の価値観があてはめられていたことになる。
2. 民衆の青
その一方で、当時のヨーロッパにはもう一つ、民衆にとっての青色があった。
この青色を作るために必要なものは、ラピスラズリのような高価ものではなく、大青という植物に由来する染料だ。こちらはまさに中世ヨーロッパにおいてはテューリンゲンが最も有名な栽培地だった。
そしてこれは中世で最も広く使われた染料だった。
要するに、この青は一般庶民の衣服によく使われる、大衆的な色だった。
以下の絵は、聖母の青と民衆の青が共存している。
テレーゼにとっての青色
テレーゼに聖母らしさを見出すことは比較的容易であると思う。
メルツのためにやれることをやり、賢女とまで呼ばれるほどの知識の技術を身につけた努力に、子を思う母の人徳から聖母という印象・性質を見出してもおかしくはないはずだ。
一方で、彼女は没落貴族であり貴族らしい裕福な生活を送れる状況になかった。実態は一般庶民か、住処を考えるとそれ以下の生活だった可能性もある。
彼女の身につけている服そのものは高価なもののはずだ。
それは彼女の服の柄からわかる。当時、そもそも服自体が高価であり、かつ柄は全て手縫いで表現するしかなく手間がかかるため、彼女の服のように細やかに柄が入った服はいかにも貴族らしいものだ。
そのため、貴族らしさを保つために着るものとしては適切な品質のものだと考えられる一方で、その差し色に大衆性の要素がある青が入った点は、彼女が貴族から没落したことも感じる。
他の色との対比構造からみる黒と青
最後に、他の色との対比構造から黒と青を掴んでいこうと思う。
黒髪で黒と青のドレスを着たテレーゼと、金髪で白いドレスのエリーザベト。メルツを愛した女性のうち、テレーゼが黒と青ならば、エリーザベトは明らかに白と黄色(金)だ。
これは現代的な感覚でも、中世的な感覚でも対比構造が成立している。
現代的に見るならば、黒⇔白は無彩色の中での明暗の両極端で、青みの色と黄は色相環で正反対、補色の関係にある。
中世の感覚でも、黒は前述の通り悪役に着せられる色だったが、白はヒーロー・ヒロインに着せられたり、白馬や白い動物が伴ったりと対比構造が持ち込まれていた。
また黒髪と金髪にも先入観というか、偏見のようなものがあった。北方のゲルマン民族の身体的特徴として金髪があったことで、金髪が支配者階級の特徴として捉えられ、その精神の高貴さの象徴とされた。
それに対比する形で、黒髪は身体的な醜さと精神的な卑劣さの象徴とされていた。
一応フォロー(?)すると、黒色に対する価値観は16世紀以降改善され、高貴な色として好ましい印象に変わっている。現代で言えば髪色で優劣を決めるといったことは差別主義的で言語道断な話だ。
ただあくまでもテレーゼやエリーザベトが生きていたであろう時代では、このようなネガティブな印象が強かったという意味で、この話を理解してほしい。
結論
テレーゼの黒い服は、生前の彼女が他者への罪の怒りと自身への罪悪感という負の感情に支配されていたこと、そして彼女がいずれ童話の魔女として、七つの大罪と呼ばれるような負の感情の持ち手を担うことを暗喩している。
またエリーザベトと対比すると、エリーザベトの容姿の特徴である金髪がもたらす高貴なイメージと対比する形で、テレーゼの黒髪は醜さや卑劣さを印象付けてしまう。
そして差し色として使われている青は、彼女の聖母らしい一面と、貴族としての矜持を持ちつつも庶民文化に身を落としている現実を表している。
このように、彼女の衣服や容姿の特徴から、彼女にまつわる立場や運命を感じ取れるようになっていると考えられる。
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参考文献:
徳井 淑子(2019). 『黒の服飾史』. 河出書房新社
徳井 淑子(2023). 『中世ヨーロッパの色彩世界』. 講談社学術文庫
山北 篤(2023).『シナリオのためのファンタジー衣装事典 キャラに使える伝統装束118』. SBクリエイティブ株式会社
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
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更新履歴
2024/04/27 初稿
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