雪が降ってる
今日、生徒に「完了」って何かと聞かれた。
古典では文法的に正しくヨムことを半ば教養?として強要するが、そうすると文法に囚われて、真面目な生徒ほど、「完了」なら「~してしまった」と訳さなければならないという迷路にはまり込んだりしてしまう。
そこで、こんなことを言ってみた。
例えば、
「あ!雪が降ってる」
この表現が表す状態には、実は二つのケースがある。
ひとつは、「今、雪が降っている」という進行形。
英語でいえば、“It is snowing.”
ところが、日本語では、現在雪が降っていなくても、例えば朝起きたら雪が積もっていたというケースでも「あ!雪が降ってる」と言う。
これは、英語でいえば、“It has snowed.”
すなわち、完了形である。
どちらも、「あ!雪が降ってる」と表現する・・日本語は面白い。
中国、四国、九州の方言では、この二つのケースを区別されているという。
前者は「雪が降りよる」と言い、
後者は「雪が降っとる」と言うそうだ。
これらは『ことばの歳時記』金田一春彦著(新潮文庫)に載っている。この本はいい。僕の愛読書の一つである。
生徒に「おはす」という敬語の説明をするとき、同じことを感じる。
古語の「おはす」は「あり(をり)・行く・来」の尊敬語だが、「いらっしゃる」と意味を取ればだいたい正しく通じる。
「先生がいらっしゃっる」であれば、
「あり」の尊敬語→先生がここにいらっしゃる
「行く」の尊敬語→先生があちらへいらっしゃる
「来(る)の尊敬語」→先生がこちらへいらっしゃる
である。
ただ、「先生が来た」という表現にも二通りあり、
先生が教室に至った状態であれば「完了」かもしれない。
だが、先生がまだ教室に至っていなくても、何か悪さをしている生徒の見張り役が「先生が来た!」と言う。そういう時に、例えば「完了」という文法用語を使う微妙さを感じる。
高校生はおよそ敬語など使わないから「先生が来た」とか言う。
昔の高校生なら「センコウがきやがった」と言うだろう。
「敬意」というものの微妙さも感じないではいられない。
「文法ですべてが片付くわけじゃない。君は日本人だよね」と、また、生徒を迷宮に誘ってしまった。・・かもしれない。
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