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第145話:一語の違い

愚話である。

だいぶ前のこと、新聞を見ていたら「テストの想い出」というタイトルでいくつかの投書が載せられていて珍答の実話がおもしろかった。

例えば、「ミジンコの脈拍はどう計るか」という問題が出たそうなのだが、その授業をちょうど休んでいてわからず、「ミジンコの胸に手を当てて数える」と書いたそうである。なかなかユーモアのある解答だが、先生が堅物だったのだろう。✖を食らって点はもらえなかったらしい。

また逆に「都市近郊に人口が移動し都市部が空洞化する現象」を何というかという問題で、ドーナツ化現象と答えるべきところ、どうしても思い出せず、苦し紛れに円形脱人症と書いたら○をもらえたという人もいた。こちらはよっぽどいい加減な先生だったに違いない。

こんなのもあった。古典で「月日は百代の過客」の「百代」の読みは?と問われて、自分ではハクタイと書いたつもりが、返ってきた答案は✖になっていた。訂正してもらおうと先生のところに行ったところ、先生が笑っている。よくよく見直すと、ハクタイではなくハクサイと書いてあって赤面したと言う。ハクタイのカカクハクサイのカカク。「月日というものは白菜の価格である」では芭蕉が可哀想なほど意味不明である。

かように、たった一字の違いではあるが、そのたった一字が、しばしば実にトンチンカンな結果を生むことがある。くだらないとは思うが、今回はそんな例について列挙してみるので、しばらくお付き合いいただいて、ことばの大切さを実感していただけたらと思う。人から聞いた話とか、何かで目にした話であり、僕の創作ではない。真偽のほども全く明らかではないが、そういう寄せ集めの話として読み飛ばしていただきたい。

例えばよく聞く話にこんな話がある。あるお見合いの席でのこと、男が女に「ご趣味はなんですか?」と質問したところ、女の方も緊張もしていたのだろう、あるいは必死で猫をかぶろうとして余裕がなかったのかもしれない。お琴を少々と言うべきところを、うっかり男を少々と言ってしまった。
さらに男に「好きな食べ物は何ですか?」と質問されて、女はおしること答えたかったのに、おしっこと言ってしまったとか。失言にあきれられて、ついにその縁談は没になったということである。

また命にかかわる問題もある。あるおばあちゃんが結構重い病気になって、病院に行ったところ、熱を下げなければいけないと言われ、座薬を渡されてきた。座薬はお尻に入れてくださいと言われたのに、おばあちゃんはお汁に入れて溶かして飲んでいたそうだ。熱は下がったのだろうかと心配になる。

またあるおじいちゃんはひどい怪我をし、そこが膿むようになって病院に行った。薬をもらってきたのだが、帰ってくると、傷口に一生懸命、新聞にはさまっていた広告を貼っている。何故そんなことをするのかと聞くと、看護婦さんに「キノウコウコクを貼ってください」と言われたというのだが、恐らくそれは「化膿(カノウ)止めの膏薬(コウヤク)」に違いない。

微妙な人間関係を反映した、それこそ微妙な話もあって、ある人が友人の家に電話をかけたら友人の子供が電話口に出てきた。そこで「お父さんはいる?」と聞いたら、その息子は「いらない」と答えたそうである。勿論、「必要か?」ではなく、「在宅か?」と聞いているわけで、あっけらかんとその存在を否定されてしまうお父さんとは悲しすぎる存在と言わなければならない。

さらに微妙なこんな話がある。両親が夫婦ゲンカを始めた。いつものことと子供としては思って放って置いたのだが、その最中、父親が母親に向かって大声で怒鳴りつけた。しかし、恐らくバカモノと言いたかったのだと思うが、どう口が滑ったものかバケモノと言ってしまったから大変である。母親は頭に血が上りそれ以降収拾がつかなくしまったと言う。
確かに誰だってバカモノは耐えられるが、バケモノと言われたのではどうにも引っ込みがつかなくなるわけで、母親の怒りはよく分かる。これも父親は単に言い間違ったのか、それとも潜在的にそういう意識が頭の中にあったのか考えてみると、他人事だけに実におもしろい。父親の方も言ってしまってから「しまった」と思ったらしいが、ケンカの最中のこと、言い間違えたとも言えずそのまま「バケモノ」で押し通したと言うから、結末の悲惨さはおおよそ予想していただけるのではないかと思う。

皆さんの脳を汚すような話で恐縮だが、秋の夜長をちょっと笑っていただければ幸いである。


■土竜のひとりごと:第145話

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