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夢みる小学校 感想

夢みる小学校 上映会へ行ってきました。
印象に残ったこと、思ったことの記録です。

◎生活の中から問いが出る。
質問する力が重要。
人生には答えはない。
答えを見つける力ではなく、問い続ける力、知りたいと思う気持ちが生きる原動力になる。
だから、答えを見つける方法ではなく、生活させる。
ポチを飼い、小屋はどうしよう。エサ代は?・・・と考えていく。

◎子供たちには「自由にしていいよ」
=大人が責任をとる、見放さない、という態度。
失敗しても大丈夫。
失敗した時、宝物がぽろっと落ちるから、それを拾い上げて磨けばいい。
子供を信じて任せる。
余計なことをしなければ、子供は自分の力を発揮していく。

◎公立の学校でも、通知表を無くす、宿題を無くすことは可能。
ただし、その型を真似ればいいのではなく、
自分たちの「ちょうどいい」を当事者(子供、教師、親)が探し続けていく姿勢が大事。

◎通知表とは、子供の成長を教師と親が分かち合うための道具。
道具に使われて、人と比べて一喜一憂するのは本末転倒。
教師と親が、子供の成長を確認し分かち合うためには、どんな方法が良いか?

◎大事なことは、多数決ではなく話し合いで決める。


・・・

「失敗してもいいよ」は、
試行錯誤する時間を保証してあげる事。

私は長いこと、
「早く正解を見つけることが大事」と思っていたので、
なかなか「失敗してもいいよ」という気持ちになれなかった。

「しあわせ」とは、
お金と時間(お金を稼ぐこと。時は金なり、時間を無駄にしないこと)
と思いこんでいたから。
お金と時間を得る方法=「正解」を早く手に入れたかった。

(目標にまっしぐら、の「火」の人なのでw)

私は無意識に「損をしたくない。」と思っていたんです。
損をしたくないから、正解を知りたい。
間違えたくない、失敗したくない。

でも、人それぞれ、しあわせの形は違うもの。
だから、正解は自分の中にしかない。

「自分にとってのしあわせは何だろう?」
問い続け、試行錯誤し続け、見つけていくものなんだな、
というのが今の認識です。

そう感じる様になったら、自分の失敗を、
「失敗ではなかった。それどころか宝物だ。」
と思えるようになって。

子供がやっていることを、手を出さずに(でも、口はちょっと出しちゃうw)見ていられるようになりました。

・・・

私の子ども時代は、
「大きいことはいいことだ。」的な、高度成長期だったので、
小学生時代の話し合いは、なんでもかんでも多数決。
「数が多けりゃいいのか。数の暴力だ・・・」
と感じながらも何も言えなかったので、

映画の中の「大事なことほど話し合いで決める」という言葉が、
とてもとても印象的でした。

「台湾の天才IT相」と呼ばれているオードリー・タンさんは、
相手が自分と違う意見の時、なぜ相手はそう考えるのか?とても興味を持ち、もっと良い考えをうみ出せないか?と挑戦するそうです。

誰が正しいか、間違っているか?誰の手柄か?ではなく、
全員で新しいアイデアを探していく。

「トロールハギング」
コミュニティにとっての厄介者トロール(怪物)を
ハグ(抱きしめて)あげよう。

悪者をつくってその人のせいにして、
「私はまちがってない」と安心する。
そんな時代は、もう終わりです。

腸内細菌は、善玉菌も悪玉菌も、みんな一緒に世界をつくり、バランスをとっている。
人間だってできるはず。

夢みる小学校


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