永遠の旅路
死んであの世に帰る時、身体はどうなっているのか。
身体=肉体とするなら、死ぬと焼き場で焼かれて骨だけになって、骨壺に収まるくらいの量しかなくなってしまう。
家族にとって大きな存在だった(実際に身長も高くて大きかった)、私の父もそうだった。
しかし、人にはもう一つ体がある。
それが魂だ。霊体とも言う。エネルギーでできた身体だ。
この魂=霊体(エネルギー体)は、生きているときは肉体と不即不離の状態を保っているが、死ぬと肉体から離れる。
燃えて骨になってしまった方の肉体に自分の意識があるのではなく、肉体から離れた魂であるエネルギー体の方に自分の意識があるのだ。
だから本来的には、私たちは魂というエネルギー体として生きている。
それが肉体という衣服を着ているようなものなのだ。
死んで肉体から離れた人が、自分のお葬式を見ていたりすることがある。
見える人にはそういう人の姿が見えるらしい。
当然ながら、この世に生きている私たちには、基本的に魂の姿は見えないし聞こえないので、お葬式の参列者とコンタクトをとることはできないが。
自分が死んだことに気づかないケースもある。
「最近、話しかけても誰にも相手にされない、おかしいな」とか。
でも、気づく方法はある。
この世のモノに触れるかどうか。
もし何かに触ろうとして、手がすり抜けたら、それは魂だけの姿になっているということなのだ。
エネルギー体なので、物質はすり抜けるのだ。
四十九日という言葉があるが、死んでこの世に留まっていられる日数がそれくらいなのだそうだ。それまでに帰れないと不成仏霊とかになってしまうらしい。
そうなる前にあの世に帰るのが賢明だ。
生まれる前にいた世界へ。
ほとんどの時間をあの世で過ごして、時々生まれてくるのが私たちらしい。
人によるみたいだけど、300年とかの周期でまた地上に生まれてきたりするらしい。
そうやって生まれてきては、またあの世に帰るということを繰り返しているのがエネルギー体である私たちの魂。
昔の偉い人が、「永遠の命」を求めてたりしたけど、エネルギー体としての魂は転生輪廻を繰り返しているのだから、もとから永遠だったのだ。
永遠の旅路を続ける、永遠の命をもった存在。
それが私たちという存在なのだ。
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