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魂の成長

誰にでも老いは来る。
老いるということはそれだけ長く生きてきた証。
生きた時間はそのまま経験となって積み上がっていく。
肉体という側面だけを見れば、老いは単に忌むべきものかもしれない。
しかし、人間の内面はどうか。

ある声優さんは、若いころにやっていた役を今やると、年齢の分だけどうしても声に深みが出てしまうと言っていた。

それは、その人が人生の中で味わってきた、人のやさしさや、苦しみや、喜びや、悲しみ、そういう時間をかけて感じてきたものすべてが影響してしているのだと思う。
単なる年齢的な声質の違い以上に、内面から出るものも変わってくるのだ。

「老い」という言葉には、「肉体の衰え」という意味が含まれていて、決して良い意味には使われない。
しかし、「老い」という言葉自体が、そもそも人間が年齢を重ねていくということの一側面だけしか表現していない。

例えば、スイカで考えてみよう。
外側は緑色だが中身は赤いということは、食べたことがある人なら誰でも知っているだろう。
そして、そのスイカを指して「これは緑色の食べ物である」と言ったとしたら、それはスイカの外側のことを言っているにすぎないと分かる。
この言葉では肝心な可食部分である中身を表現していないことになる。

これは「老い」という言葉にも当てはまる。
人間は年齢を重ねるほど肉体は衰える反面、内面はむしろ経験を積んだ分だけ磨かれ、深みを増してくのだ。

肉体が衰えてくれば不便なことも多いかもしれない。しかし、最も大事な人としての中身、魂の部分は進歩し、成長していく。

人が年齢を重ねていく姿とは、魂が成長していく姿なのだと思う。

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