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くたかコラム:宮城ニワタリ神社巡り①

くたかコラム
 上海アリス幻樂団様が制作した弾幕STG『東方鬼形獣』に登場するニワタリ神、庭渡久侘歌について、あれこれ調べたり想像したりしたことを書き留めておきます。Twitterで呟いたことをまとめることも。

宮城ニワタリ神社巡り
 
久侘歌についてあれこれ想像しているうちに「やっぱり現地に行って実際にニワタリ神社の雰囲気を体験することも大切なのでは?」と思い立ち、実際に行ってみました。
 巡ったのは宮城県内のニワタリ神社16社(+福島県内の2社)です。全6回を通して毎回3社ずつ、現地で気づいたことや想像したことなどを報告予定です。

①仁渡神社 仙台市泉区

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 仙台市内の都市部から少し離れたところにある神社です。田んぼなどの農地が広がる中に、背の高い木々に囲まれて鎮座していました。それほど広くはないんですけれど雰囲気はとてもあるところでした……。

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 すぐ近くに川が流れていて「仁渡橋」という橋がかかっています。欄干の左右には橋の名称が書かれたプレートがあったのですが、左右で文字が漢字とひらがなに分かれている親切設計(?)でした。
 農地が近いので川の水は農業用水として灌漑されているみたいです。水渡っぽい。

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 遠景から神社を見るとこんな感じです。見晴らしがいい景色の中に背の高い木が密集しているのでとても目立つ。雪が積もっていたので、社の赤色がより映えていました。

②二渡神社 大郷町土橋

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 ちょうど、住宅が立ち並ぶ区域と、田畑が広がる区域の境目あたりに位置していた神社でした。ニワタリ神の一側面として道祖神(村境にあって悪霊や疫病の侵入を防ぐ神様だそうです)の面もあるかも……という文献も見かけていたのですが、こういう住宅と農地の境に神社があると「確かにそうかも」と思いました。宮城の農地は本当に広大で、夜になるとおっかなびっくりしてしまいそうでした……。

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 あとこちらの神社、神社から向かって右手の方向に公園がありました。子どもたちの遊び場として地域の交流の場所になっていた時期もあるのかなと思い、ちょっとほっこりした気持ちに。久侘歌の子ども好きなイメージがより強くなりました。

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 気になったのはこちらの石碑。『二渡神社跡地』との文字が彫ってありました。他には向かって右に『明治四十一年旧四月一日 中村神明社合社』、向かって左に『昭和八年旧四月一日建』と彫ってあるようです。『昭和八年……』っていうのは石碑が建てられた日付?
 一度神社がなくなったあと、いまの社に再建されたっていうことなんでしょうか。いずれにしても、社がなくなっても石碑が残り続けるあたりに、神社への信仰の厚さを感じました。 

③海渡神社 大崎市三本木

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 今回の神社巡りで、ある意味一番思い出深かったところです。
 写真のような風景を見て「鳥居しかないじゃん!」「こういうニワタリ神社もあるのか……」と勘違いして撤収してしまいました。しかし、以前に宮城のニワタリ神社を巡られていたサークルスアリテスミのひそなさんのブログを拝見すると、どうやら鳥居から続いて90度曲がる参道があり、その先に神社があったようです。
 地面が雪ですっかり隠れていたのでまったく気づけませんでした。なのでこの神社については鳥居だけの報告になります。いつかまた参りたい……!
 なお、『海渡』の読み方は『かいと』のようで、ニワタリとは異なります。けれどもニワタリ神の権能に渡航があったり、『海渡』でニワタリの元になったとされる『みわたり』とも読めるので、やはりニワタリ神社の一種なのかなと思っています。上記のひそなさんのブログでも、高いところに社があったとニワタリ神社に見られる特徴が書かれていますし。

 というわけで第一回目の報告はここまでになります。
 今後紹介する神社を含めてなんですが、ニワタリ神社を巡ってみて、割と『住宅地』と『住宅地以外(たとえば農地や川や海)』の境目に神社が位置していることが多かったなー、という印象がありました。やっぱりちょっとした道祖神的な側面もあったりしたんでしょうか。
 もっとも、神社が建てられた当時と今とでは風景が様変わりしているはずなので、住宅地と農地の境目に建つ神社に関しては不明瞭な部分が多いですが……。
 第二回目も近々報告できたらと思います。

 なお、ここに挙げた情報は、あくまでも外の世界ではこんな記録が流れているよー、程度のものです。真実が何であるかは知る由もありません。
 あなたが幻を視る一助になれば幸いです。素敵な幻想郷ライフを。

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