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言葉にふりまわされない強さとかなんとか

今朝は体が重かったので朝起きるのも遅かった。天気はよいみたいだけど体は重い。重いより軽いもののほうが多数の人に親しまれるっていうのは身体で実感できるなって思った。単純にしんどい。しかし世の中にはあえて重いものを選んでチャレンジし続けるひとたちというのも一定数いるわけである。それがものをつくったりする人だとおもっている。一方でその人たちに当てはめられる言葉は奇人、変人、変わった人だとか、ようやく出来上がった仕事をお披露目したら楽な仕事だねって言われることもあったりしてなんだか不思議だなと思う。楽な仕事なんてないはず。そして、つくったものに対してしんどかったんですよ、と苦労話をくどくどいうひとはなかなかいない。しんどくないことはないんだけど、しんどさをみてもらいたいわけじゃなくて、それより出来上がったものをみてもらいたいっていうことが往々にしてある。仕事に対する美学なのかもしれない。

じゃあ楽とは言われない仕事ってどういうものなんだろうとかんがえたときに、エッセンシャルワーカーの人たちが思い浮かんだ。「有意義な仕事だね」とか「必要な仕事だね」とか言われるだろう。今の世の中の流れを止めないお仕事をやっているひとたちで低賃金で働かざるを得ない人たちは確かに楽じゃない。
一方でものをつくるひとたちは、少し先の未来をかえる仕事をしているような気がする。目の前の課題を違う視野から眺めて、遠いところに投げているようなイメージがある。誰がいるかもわからないけど、遠くに投げて受け止めてくれる人がいることを信じて投げる。そのボールを投げることは楽じゃないんだけど、そんなことしてどうするの?って思われてしまうリスクがある。

だからもう「楽な仕事だね」って言われた時には「楽しそうな仕事だね」っていう意味に変換したらどうだろうっておもった。楽しそうに見えてしまうのはいいことだとして、それはその仕事を選んでしまった以上受け止めざるをえないってことだ。

そういうことばに惑わされない強さが欲しいなと思う。



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