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生命維持のための表現について

昨日しいたけさんの記事で「はじめたことはこっそりしばらく隠しておいた方がよい」というような文章を読んでなるほどと思った。たしかにこのnoteの毎日日記は特に公開して言ってない。それでも続いている。むしろそれだから続いているのかもしれない。続けることが目的で、誰かに読んでもらうことが目的じゃない。むしろ1年くらい誰にも言わずに続けておいて、全部読むようなひとがでてこないようにしたいと思っている。そして今こっそり続けることに成功している。案の定アクセスも少なくてしめしめと思っている。

少し前にやっていたバインミー のパン作りやダーニングはつくることが目的だった。つぶやくとつぶやくことが目的になってきてしまったのかもしれない。もちろん、ベトナムの食材が手に入らないということも原因の一つではあるし、食べてくれる人がいないことも原因の一つだ。ひとつはっきりしたのはつくってなにかを生み出すと言う行為は、自分の無用感からのがれられるということ。今はなにかをゼロからつくることから切り離されているから、自分の手で何かを作ると言う経験は人としての本能を呼び覚ますのかもしれないと思っている。ものをつくることは根源的な欲求だ。
人間の3大欲求は「睡眠、食欲、性欲」だと言われている。でも性欲は他の二つとちょっと違って、いまの人生において、生き延びると言う生命維持のために必要ではない。自分の遺伝子を未来へのこせなくなるという根源的な欲求だ。

今世においてそれは性欲以前の「愛欲」だと置き換えられる。愛したいという欲求、誰かとつながりたいという欲望は、生命維持のために欠かせない。
自分の意思をつたえることができなかったら、表すことができなかったら命を失ってしまうことだってあるのだから。
生命維持のために表現することってある。だからといって必要かとかそう言う思考におちいるのは私も毒されている。そもそも表現することが必要かどうかなんていう議論がおこることがおかしい。人と関わらないで生きていくことなどできやしないのだから。

<今日のひとりごと>
「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」はいつ終わるんだろうと配信を待ち焦がれていたら、16話が最終回だったことをようやく知った。4回も見ておいて私ってバカかと思った。続編がありますように。

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chirico kaworu
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