自分の靴と人の靴をまちがわないように
この歌を聴きながら、なりたい自分になるより、なって欲しかろう自分になろうとしていたことに気づく。他人軸というやつ。自分と他者の境界線がぼやけてくる。あれ、自分がそうおもっているんじゃなくて、これ、誰のことばなんだろうという迷宮に迷い込む。
おそらく感情を受け止めすぎて、理解力が及んでなかったんじゃないかと思う。
シンパシー(共感)=エンパシー(理解)ではないってこと。
付き合いが長くなるとシンパシーで相手に寄り添う度合いがひどくなってくる。そうすると相手に巻き込まれるし、相手も巻き込んでしまう。
結果、狭いコミュニティにおいて人の関わりやごたごたに巻き込まれることが多くなってしまう。同じような体験をしている人たちに少しでも届いたらと思う。
エンパシーについて詳しく書かれているのは、ブレイディみかこさんの「他者の靴を履く」
シンパシーについて(エモーショナル・エンパシー)
ブレイディさんは、エンパシーを4種類に分類している。日本語のシンパシーは「エモーショナル・シンパシー」にあたる。詳しくは本を参照してもらいたいので、ここでは、あくまでも自分の解釈として。
シンパシー(感情の共感力)を持つと、特定の相手が自分に対して感情をぶつけると気持ちが痛いほど伝わってくる。感情だけ受け止めてしまって、理解するこころの余裕がなくなる。だから感情を揺り動かしてしまったという申し訳なさを伝えることしかできなくなる。「ごめんなさい」と謝ることしかできない。自分に余裕がなくなっている状況では何を言っても伝わらないし、うけとめることもできない。
特定の相手と接するときには、自分に向けられている気持ちに寄り添わないほうがよいと思う。とネガティブな感情の場合、ネガティブな感情を引き寄せてしまって、生産的な行動にはつながらずに、ただ「申し訳なさ」だけが漂う状況を招きつづけて悪循環が生まれることになる。萎縮したうえに卑屈になる。ちょっとしたパニック状態に陥ってしまう。
この癖を取り除くことが必要になってくるのだけど、まさに今目の前で相手が怒っているところ、そして自分はパニック状態だからますます混乱することはまちがいない。さらに、社会的にも常に「もうしわけありません」ということを求められている状況も後押ししてくるので八方塞がりになってしまって言葉が出てこなくなってしまう。
エンパシーに近づくための心がけ
だから、実際、今度このパニック状態に陥った時にどうするのかについて、対策を考えてみることにした。
エンパシー:自分自身が感情的に巻き込まれて判断力に影響を及ぼすことなく他者の感情を理解する能力
本で取り上げられているこの定義が、今回のケースで一番適しているとおもったのでここから話を進めてみようと思った。
まず、「他者の靴を履く」というのは、靴を履く、という行為を指し示している。あくまでも行動だということに注目してみた。
実際に人の靴を履く場合、どうなるんだろう?
まず、足の大きさが違う場合は、大きな靴だったら足は入るけどぶかぶかで小さい靴だと足は入らない。自分のサイズと同じような大きさの靴だと、足を入れてみて確認してみないとわからない。サイズだけでなく、靴の種類にもよる。いつもスニーカーばかりはいていたら、ヒールの靴ははきづらいかもしれないし、革靴をはくためには靴べらが必要になったり、履くためにストッキングや靴下を履き替える必要があるかもしれない。ブーツやトレッキングシューズなど、用途によっても靴の種類も違ってくる。
その辺りをクリアして実際履いてみたら、靴には癖がついていたりしてなんだか違う。さらに歩いてみると今までと違う感覚だということに気づく、という感じになる。
こうやって考えると、一口に靴を履いてみるだけでも、いろんな要素が絡まっているんだとわかった。
こうやって靴に置き換えてかんがえると、特定の人やコミュニティに共感してしまう人、他人の靴を自分の靴だと思い込んでいるんじゃないかと思った。
そういえば大人数の集会などで靴を脱ぐ機会があると、たまに似たような革靴を他人のものと間違えて履いて帰ってしまう人が現れたりする。同コミュニティで同文化的背景を持つ人たちの靴はもともと似ているので他人の靴を間違えて履いてしまう確率が高くなる。靴の場合は実際に物体としてあるので、間違えて履いていたら気づかれるけど(もしかしてそのままお互い気づかないばあいもあるかも)感情は間違えて履いていても気づかないし気づかれない。
こういうことで自他の境界線が曖昧になっているのかもしれないなって思った。
感情を脱いで理解を履く
靴で置き換えてわかったけど、人の靴を自分の靴だと思い込んでしまうのは相手の感情を自分の感情だと思い込んでいることと同じだと思う。
巻き込まれ体質の人は相手の気持ちや状況を最優先して、自分の感情をを後回しにしてしまう癖がある。
だから、どれだけ時間がかかったとしても自分の感情との境界線を維持することを最優先すると、間違った靴を履いて帰るリスクを減らせるんだと思う。
靴を間違えないために、巻き込まれ体質(シンパシー過剰の人)はまずは感情でうけとめないようにする。
最初は少し時間が必要かもしれない。並んでいる靴が同じように見えるけど、よくみたら靴紐や皮の色が違って見えてくるかもしれない。自分の靴がどれか確かめること。
相手の感情(靴)は相手のもの。自分の感情(靴)は自分のもの。
目の前で感情をぶつけられているときの心がけ
「絶対に感情で受け止めない」と気持ちを強く持つ。
第一段階はまずこれから。相手が感情をあらわにしたら、少しトイレに行くなどして時間をつくる。「感情にまきこまれない」と心を落ち着かせてから話を始める。時間を取れない場合は、「ちょっと待って」と深呼吸をするなどして心を整える。怒りの影には悲しみや憤りが潜んでいる。
理解してもらえなかったり、お互いがよくしようという気持ちに齟齬があるだけなので、感情をあらわにする目的は何なのかに集中して聞き出す。自分だけを責めない
自分が原因だと100パーセント「ごめんなさい」の姿勢で聞かない。誰かが怒る=人格否定だと思わない。話の内容を聞いてみる。
ここまで準備ができて、ようやく話を訊く余裕ができる。第2段階。事実を確認する。
相手に何があったかを訊く。自分の状況は後で説明すればいい。内容についていけない場合は、違う言い方をしてもらう。
おなじ日本語、同じことばを使っていても、ひとそれぞれ使った意図も背景も違う。理解できないところがきたら、その段階で訊く。相手の希望、要望を訊く。
相手はどうしたいのか、どうして欲しいのかを訊く。それに対して自分がどう思うのか、頑張って言葉にする。言葉にできない場合は相手の要望をメモに取っておく。改善策を提案する。
その場で提案することができればいいけど、関係が深くない場合だったり、問題が複雑(だと自分が感じる)場合は解決できない可能性が高い。
その場合は改めて「ちょっと考えてまた連絡します」など、時間をもらう。どうしても決断を迫られてしまったら「今私は感情をぶつけられて気持ちに余裕がなくなっているので決断ができません」と自分の状況や事実を相手に伝える。
にげてもいいよ
まあ、これって理想なので、そんな簡単に行動できることではない。
そして相手に理解してもらうことはたやすいことではない。でも真摯に向き合っているということだけは伝わると思う。
そして巻き込まれ体質は巻き込み体質でもあることを心しておく。
その場で自分が大切にされてはいないと感じるなら、逃げてもいいと思う。
目的は「お互いの関係を壊すことではない、関係を築いていきたい」という意思さえ失わないでいれば、すぐに変わることはなくても、少しづつ変化が現れると信じる。