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夢からこぼれた現実と幸せについて

どこかみたことのないまちに行ってワークショップの仕込みをしていた。商店街のなかにある宿泊所に荷物を下ろして、アシスタント仲間と会場に向かった。会場はそのまちにある小劇場で、和気あいあいとしながら仕込みが終わった後、みんなはすぐ帰ってしまったのだけど、今回のメインのひとがこのあと演劇仲間の公演の手伝いをするらしく、一緒にロビーみたいなところですこし話をしながらのんびり良い時間をすごしていたら目が覚めた。

昨日プライドとは「好きな自分でいるためのもの」と言う文章を読んだ。
人の幸不幸を決める指針は「自分のことが好きか嫌いか」という。
毎日noteを更新しているのは、好きな自分でいるためのものかどうか。ひとつでも毎日つづけられるものがあればよいなということだったりしてそろそろ半年ぐらい続いてきた。この日記は好きな自分であるために機能している習慣になっている。ビュー数も少ないし、読んでいるひとにリアルであうことはほぼない。
これまですぐにtwitterでつぶやいていたことを、こっちで呟いたりもする。twitterだからとだれかれに迷惑をかけているわけではないけど、あっちの世界はなんだか攻撃的な面もあるなと思いかけていた。心をおもうがままかいても誰も傷つくことがない別の場所を作ることが大切だと思った。それに140文字でつぶやけることには限界がある。好きな自分とはどんなものなのか明確じゃないのにぶれまくっているひとにはハードルが高い。twitterは明確なキャラ設定があるほど生きやすいのかもしれない。たった140文字でつぶやけることのなかでは生きていない。
あそこに生きている自分じゃないほうがすきだったんだなと思った。でもまたもどるかもしれない。今はまだわからない。

好きな自分でいるために、ということを生きる指針にすることは自分嫌いな私にはいいかもしれない。完璧な人間なんていないし、自分のことがすきでたまらないひともなかなかいないんじゃないのかな。人にこう思われたいを判断基準にしているよりかは健康的な感じがする。誰かの目をきにするより自分の目を気にすること。ようやくそのステージに立てたのかなって思う。

そうそう、だから、ずっと好きな人と一緒にいるってなかなか大変だと思う。好きな自分でいるためにと好きな人を幸せにすることの両方めんどうみなきゃならない。わたしはずっとひとりだから、誰かの幸せと一緒にまじりあうことはなかったけど、それでも、今隣にいたり同じ空間にいるひととともに幸せをわかちあうようにしていきたいなとおもう。だれかほかのひとと幸せをわかちあうっていいな。好きな自分であることに近い。

<今日のひとこと>
今日はワークショップの打ち合わせとデザインのおしごとがある。毎日作業をどこでしようかなと思っている。机とネット環境がある書斎とストレッチができる鏡のあるスタジオがあるといいな。そういうあるといいなをおもいつづけてまだ持ってないのは、ここに居着くことがまだすこし怖いからだろう。もうすこし自由でいたいのかな。


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