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あるがまま、なすがまま、じたばた

きのう映像作品の撮影が終了したのですこしほっとした。がっつりというよりチャレンジという企画に参加できるのは面白い。あちこちで演劇祭が行われて、お祭りというのは参加するのも楽しいけど当事者として関わりたいなとおもう。声をかけられる存在というものになれたらなと思う。それにはこつこつがなにより。自分のできることをやっていくほうがいい。それに目をとめてくれるひともいればいないひともいる。あるがまま、なすがままでいることも大切かもしれないと最近思うようになっている。

「最初から諦めているように見える」と言われたことがある。ずっとひっかかっているということはこころあたりがあるということになる。最初から諦めている、空っぽの状態がある。がらんどうの穴がぽっかりあいていて、あいていることにも気づいてはいない。今はその穴があいている原因はわかる。だけど、その穴を埋めるためにどうすればいいのか、解決策がまだみえていない。それでもなんとなく、みのまわりにいるひとをたいせつにすること、距離をつめすぎないでいることなどぼんやりと考えている。
大切にできないものに対してなげくのではなく、大切にできるものをまずは大切にできるようにすること。目の前にあるものを大切にすること。100で向き合うことをしてしまうと、傷つけてしまうのであれば、20で向き合う。人を傷つけずに、自分も傷つけずにの距離感ははがゆいし、空っぽさをさらに感じてしまう。
演劇を仕事にすることは、演劇が好きというピュアさとはすこし違う方向に向かってもきている。仕事にすることは大変だけど、その大変さをたのしめるようになれたらいい。今はまだたのしめていないのだとおもう。
演劇を仕事にしている人のことは好きだし、私もそこに足を踏み入れることができればなと思っている。お仕事募集中。
だけどなんだろう、このぽっかりと空いた感覚がどんどん大きくなってきている。物足りなさ、全力疾走できない感覚がある。体力的なことなのかもしれない。だけどただ、いまはもうすこし、言葉が必要だというのは感じている。言葉を手に入れる。

あるがまま、なすがまま、といえば達観しているとか思われそう。
だけど、いまの心は空っぽだ。たぶん、じたばたしていないからだ。じたばたすることはけっこう大切なことだ。じたばたしたい。

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