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他者が長所だと思っていることが、自分は短所だと思っていると

私は自分の身体が苦手だ。むしろ、苦手だからこそ身体について興味を持った。最初は顎関節症、身体的非対称性に気づいたことからだった。
言葉のやりとりやコミュニケーションだけで取り除けない劣等感があるのが身体的特徴だ。ルッキズムは他者に向けて視線が向けられる時は気にならないが、ベクトルが自分にむけられるととても怖いものだ。常に視線にさらされているという恐怖感があることも否定できない。

個人的には、他者が長所だと思っていることが、自分が短所だと思っている時が苦しい。
自分が求める美的感覚に自分が添っていないのに、人には嫉妬の対象とされることが耐えられないし、その気持ちが周囲に伝わらないことは絶望とまでいかなくても無力感に苛まれる。
実際、私は、切れ長の一重に憧れている。
理想は山口早夜子さんだったりする。
しかし私の身体的特徴は、どんぐり眼の二重だ。それが社会とか周りからは羨ましがられる対象になっているので、周囲にこのもやもやを説明して、うまく伝えることが難しい。「なんで?いいじゃん、羨ましい」と憧れの対象にすらなってしまう。
胸があることも、洋服の着こなしや身体表現に携わる人にとってはデメリットだ。羨ましがられるのもいい迷惑だ。胸がでかいのが目立つ服を着ていると誘っているとか言われたりすることを想像すると虫唾が走る。Tシャツでさえ目立つ、というかTシャツが一番目立つし。トレーニングウェアとか、スポーティなものでさえ、悪目立ちするのが胸があることの悩みなのだ。おまけに私は身長も低い。既成服は大抵合わなくて、洋服のラインが崩れてしまう。衣装さんに申し訳ない気持ちになってしまうことが何度もある。
要するにパーツはわるくないのだけど全体的に身体のバランスが悪いのが私だ。大抵において個性的だね、とかで片付けられてしまう。舞台に立つ人間じゃないな、と思いながら舞台に立ち続けるのは本当しんどい。じゃあなんでわたし舞台に立っているんだろう。

自分が浮かんできたイメージを自分でやった方が早いから、というのが一番近い。でも、他の人の方がふさわしいイメージの場合もたくさんある。だから、誰かに伝える言葉を得ることができれば、舞台に立たなくていられるのかもしれない。あれ、私本当は舞台に立ちたいわけじゃないのかしら。

あ、これかも。
「負けたくない」
これに近いかもしれない。
既成服一辺倒なシステムにも負けたくないし、バランスが悪い身体的特徴にも負けたくない。そんなこともろともせず、笑っていたいし、幸せになりたい。そんなことなど全く関係がなくて、気にしなくていい世の中がいい。

私は負けたくなかったんだ。
負けたくないから晒すし、ごまかさないでいることが美しさだと思っている。リアリティとリアルは違う。リアリティは本質で、リアルは現実だ。

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