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世界とか視線とか、演劇とか

昨日打ち合わせをしながら、思えば遠くにきたものだと思った。私が中心で物事を動かしたほうがよいことなどそうそうなかったから、ああ、これなら私ができると思えることが嬉しかった。水を得た魚とはこういう状態かもしれないくらいうきうきしてしまってちょっと喋りすぎてしまったかも。押し付けになっていなければいいのだけど。

演劇とはなんぞやという問いかけに対して、劇場でやらなきゃ演劇じゃないと思っていたこともあるし、リハーサルもせず舞台立つなどもってのほかだし、再現不可能なことをするのは演劇じゃないと思っていた。照明も音楽もガンガン使うものだし、ブラックボックス特有の暗転も無音も効果的に使いたい。総合芸術である演劇は劇場という空間を生かして全ての使えるものを最大限に活かして成立するものだと思い込んでいた。そのために劇場はあるのだと信じていた。劇場でやるならそれが許されないわけがないと思っていたのに、そんなことはないと自分の作品を扱われたことで、ああそうか、それが常識じゃないのだと知った。そして劇場でやるという夢を失った。劇場でやるために劇場外での公演を積み重ねていたはずなのに、劇場でやっても理想の世界を描くことがかなわなかったことは、今考えてみると結構ショックだったようだ。そう、傷ついていた。自分が愛して生み出した作品を軽んじられることはどんなかたちであれ傷つく。

結局のところ資金をなんとかしたり、実績を積むことが必要だけど歳をかさねるとそれもなかなか難しい現実。周囲を眺めてどれも若手支援の企画ばかり。現状を考えるとそれもしかりなのだけど、若手以上に中堅どころがどんどん現場から離れていってしまうのも理解できる。なんせ場所もお金も機会も失われていく一方なのだから。

ため息をつきながら、今できることを最大限やっていくことだなと思って行動している。若い時にできなかった失敗を今やるということは怖くもある。それでも、馬鹿にされていいんじゃないかな。馬鹿にされるひとにはばかにされてもいいし、そんなことで馬鹿にする人とは次第にご縁がなくなっていく。
上を見れば確かにキリがないけど、自分の目線の先を水平に見渡しても、広くて遠くまで目が届かない。
誰かにあわせたり、課題やニーズに合わせるのではなく、そのままでいることが誰かのためになったり、勉強になると言ってくれる現場などそんなありがたいことはない。楽しんで出し切ろうって思う。



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