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なんだか腑に落ちてないことをたらたらと述べる

まちづくりやエリアの特徴や地域性を前面に出す企画によい面があることは理解はしている。しかし、なんだか腑に落ちない原因を探っている。

違いを認めるということを、線を引くというように捉えているんだと思う。こっからここまでは理解できるけどここから先はダメ、とか。そうとらえると前向きに捉えられない。いやいやむしろ、違いを楽しむのだけど、いろんなひとがいるよね、みたいな。
文化芸術って、人と人との繋がりや違いなんてないやん、境界線を溶かすものだと思っていたので、境界線を作ろうよって言われているような気がしてしまうのは、実際わたしが置かれている状況下が原因だと思う。
自治体限定募集の助成金とか企画とか。わかっちゃいるんだよ、でもそれって力のある自治体に引っ越せってことじゃないとか。
外部的要因はさておきそもそも私はどう捉えているのだ。
空間や時間を超えて繋がることができること。
町全体が劇場だとおもえばいいってことなのかのかな。

時や場所を超えて、まだみぬ誰かに出会えるということ。世界とつながるためにやるんだってことだけは手放したくないと思っている。この「世界」ってどこだろう。社会のことかしら。社会ってなんだ?社会と世界はきっとイコールじゃない。これが多分違和感なのだ。
市だろうが、県だろうが、国だろうが、こと文化芸術に関しては境界線など存在しない。そもそもない。
だからこそ、できることがあるんだと思う。地域にとらわれず、世界に開く扉。私はその扉を開きたいって思うから舞台を続けている。だからとりあえず地域に足を取られることがモヤモヤするということだ。

だから、どう共存するかを考えたら良いんだと思った。ワークショップにしても、作品創作にしても。全く知らない人と出会いたい、ということもどんどん出会いがかぎられてきたりすると窮屈になる。狭い空間と世界だからね、と。演劇を開くということであったり、参加者の感覚がひらく環境を整えること。だから、劇場のそとにガンガン出ていっている今の傾向はむしろ自然なことなのだろう。

そうね、経験を積みたいので、仕事を作って、それを身につける訓練がもっと必要だな。演劇の仕事なら毎日お仕事したい。舞台に立つのもいいけど、そうじゃない方が何だか最近は気になる。むしろ立つよりつくりたい。つくることもいいけど、見知らぬ誰かに出会いたい。そうなったらようやく「好きでやってていいね」の呪縛から解放される気がする。だって仕事なんだもん、って言いたい。目指せ、ファイトなのだ。


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