ことばのないはなし1

以前文学賞に応募したものを編集して公開します。

※自閉症の方が出ていますが、この小説はフィクションで、現実のいろんなとは関係ありません。

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 いらっしゃいませ、なんのお構いも出来ずすみません。
 質問があるのでしたね、自閉症の彼らの為になることなら、どのような質問でも喜んでお答えします。
 何から話せばいいのでしょうか、震災ですか?それはもう。
 あなたも東北大震災の時に、自閉症が大変だったと聞いたことはあるでしょう。
 わたしはその時実際彼らの側にいたのです。
 申し遅れました、わたしはこの成人の重い自閉症が通う作業場で、主に話すことのできない利用者さんのお世話をさせて頂いている佐藤と申します。
 いえ、世話、というのは適切ではありませんね。
 彼らは世話などしなくても、自分というものがしっかりし過ぎているぐらいあります。やりたくない事はしません、わたし達はあくまでそんな彼らの手助けをするだけです。
 また、彼らについての「自分が閉じている」という指摘は当たりません、彼らは実に豊かな世界に住んでいます、時々は、お気に入りの誰かや支援者などを、こんな不勉強なわたしなども、こっそり宝物を見せるようにでもしてその世界へと手招きしてくれます。
 その話の前に軽くこの施設の紹介をしますね、ここは東北某市のNPO××が運営している作業所で、ピンクのペンキが目印です。兄弟施設に自閉症児の療育施設もあります。
 彼らは、ここでチラシ折や空き缶潰し、簡単な手作業の練習などをしています。
 重い自閉症の彼らは、こうして簡単な仕事をすることで心が落ち着くのでしょうか?
 一般にはそう考えられています。
 でも、どうでしょうかね、わたしは彼らが僅かな声と、絵カードでしか話してくれないことを知っています。
こちらに彼らの興味ややりたいことが伝わっていないのではないでしょうか?
 勿論興味があることと才能の問題は違います、やりたいことよりできることをやるべきだという論も確かにあります、しかしわかって下さい、彼らの親がどんな思いで彼らを見ているか、親亡き後我が子はどうすればいいかとそればかりを考えて僅かでも助けになればと仕事に精を出し、もしかしたらこの子もいつか自分の手で何かを掴み取ってはくれないかという淡い思いを抱いていることを、実際この作業所から卒業して働きに出るなど、ごく僅かなのです。
 そして彼らが覗いた世界からようやく見つけた好きになったことも、伝えようとする表現が少し特殊というか、彼らとわたし達の文化が違うのでしょうか?
 クレーン現象と言われますのですけど、わたしを引っ張ってそれを見せて、恥ずかしそうに嬉しそうに笑うのです。
 彼らにはどんな世界が見えているのでしょう。
 わたしは自閉症の世界を体験できるというある動画を見ましたが、キラキラピカピカするものばかりで、音もいろいろざわざわしていて、確かに少し疲れてしまいました。あれがずっと現れるような世界にいるのでしょうかね、わたしたちは彼らにもっと色々な世界を見せたいのですが、それならば彼らにとってこの世界は刺激が強すぎます。だから殆ど、家と、作業所と、お気に入りのいくつかの場所が彼らの世界です。
 それでも、動画サイトなどから前述したようになかなか行けないライブやスポーツなどの場所を写した公式動画を見ることは特に彼らのお気に入りです。
 これならば彼らの苦手な歓声や雑音などもいくらか紛れますから。
 彼らはそこから世界を覗き見るのです。
 

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