ことばのないはなし6

 彼らは主に手作業をして、少ない作業賃を何に使うかをすごく楽しみにしています。
 奉仕作業ですと、クリーンデイなどにボランティアでゴミ拾い等はしますけれど、基本的にどこかで働くことはあまりありません。
 例えば「ほうきではく」ということはできるのですけれど、わたし達はいつも彼らが外でそのほうきではく仕事をするときにそれ以外のことをしてしまうのではないかと気が気ではなく、そのためあまり彼らを外で働かせることに積極的ではありません。
 それでも彼らは作業を楽しんでやっています、何かが出来ること、人の助けになること、何かが出来るようになることは楽しいのです。
 今なんておっしゃったのですか?えぇもう、彼らはきちんと人の助けになっていますよ。ほら、ポスティングされているチラシがくるでしょう、それは彼らが折り畳んだものです、他にも飲料の缶を潰していくらかにします、機械でやればですって、あらら、機械は高いですからね、購入できない事業者さんのお手伝いをさせて頂いています。
 それらの少しの賃金と障害者年金、親御さんのお金、それだけが彼らの収入で、たまに絵などが上手な利用者さんもいらっしゃいますが……あまり売れた、という話も聞きません。
 ほら、車椅子の方などが作った手芸やたわし等を売っているのを見たことはないですか?それからデパートなんかで障害者の作った工芸品を売っているのを見たことは?地域のバザーで売っているのは?
 彼らはそれを作るのを嬉しそうにやっています、少ないですが、それらの収入は原価を引いて皆で平等に分けています。
 でもなんていうのでしょうかね、こう……やはりそういった善意に寄りかかったものは、買った人に「いいことをした」としたと思わせるような善意に、福祉に寄りかかるのではなく……いえ、勿論わたくしも福祉の人間ですが。
 彼らを対等の人間として見た時に。
 福祉は松葉杖のように彼らが寄りかかるものとして勿論あって、そしてそのうえで何かすこしでも彼らが一人で立つ助けになるものがあれば、いいのですけれど。
 それにひとり立ちするのが人間の価値ではありません。いえ、そもそもひとり立ちしている人間などどこにいるものですか。
 会社に交通、医者にスーパー、家族に友人、あなたもわたしも色んなものに頼りっきりです。
 悩んだ時は相談する、困ったときはお互い様……。
生産性に至ってはたかだか人間の世界に大なり小なり影響を与えただけで何をなしたつもりになっているのでしょう。
 そうですね、これは自戒を込めて言うのですが、わたし達は彼らを『弱い存在』として見ています、間違いのないように、傷つかないように、危ない目に合わないように……でもそれが本当に彼らのためになっているのでしょうか。
 それでももしも彼ら自身の声で、したいことを、欲しいものを掴もうとするのなら、おそらくは無邪気にわたし達の持っているものを指してこう言うでしょう。ただ指をさして
「(それどこで手に入れたの?)」
 わたし達はその言葉が聞こえないものですから、持っているものを取られると思い身じろぎするかもしれません、彼らがわたし達と同じものを持つことをよしとしない方もいらっしゃるかもしれません、でもちょっと待って下さい。
 彼らの手間賃は低いです。
 仮に彼らがこのブローチを欲しいと思って、売っているお店を探してお金を貯めて……これはざっと三万です、彼らに払えますか?払えません。
 わたしならひと月の給料から六か月貯めればなんとかなるかもしれません、でも彼らはおそらく六か月の手間賃で、このイミテーションが買えるぐらいでしょうか。彼らはイミテーションで満足でしょうか?
 彼らが怠けているのではありません、でもそれが資本主義です。
 わたしは思うのです、ほら、フェアトレードって知っていますか?彼らのお金とわたし達のお金を同じ価値ではないとする考え方などはできないでしょうか。
 そうですよね、難しいですよね、何故彼らばかりと不公平さを感じる方が出て、理解を得ないですよね。でもそれならば何故彼らばかりが?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?