ことばのないはなし4
そうですね、でも声で思い出しましたけれど。
震災からもうすっかり時は過ぎて、テレビで震災の場面を見るのも減ってはきましたけれども、台風、大雨、心苦しいことに同じような災害は出てきます。
えぇ、そうです、同じような画像が流れるのですよ。
彼らは確かに細かい違いには敏感で、
「これはちがいます」
と言えばわかる、とでもお思いですか?
ところがそうではないのですね、震災のようなつらい記憶などは特に彼らを苦しめ、もしかしたら、いえ、おそらくはそうでしょう、彼らは例え自分の身に降りかかってきたものではないにせよ災害に遭った被災者の気持ちがわかるのです。
それも、おそらく人並み以上に。
ですので、こないだの千葉の台風などの時は、急き立てるように災害を写すテレビを消して見せないようにして、でも彼らは見てしまいます。
大きな流れが溢れて、あらゆるものを流してしまいます。
やがてヘリコプターが住民を助けに行きます、その時は彼らも嬉しそうにしています、助かったのは嬉しいし、救助隊はカッコイイですから。
そして被災地が画面に写されます。
一面の瓦礫、かつて人が住んでいた家、車、潰れてひしゃげて壊れて……。
画面を変えようにももう遅いのです。
そして彼らはパニックをおこします。
大きな声にならない声をあげて、体をバタバタさせ、泣き声も次第に大きなものになります。
中には自分の髪を引っ張るなどし、頭をスポンジの壁紙が貼ってあり(危ないですので)柔らかい壁にぶつける利用者さんたちもいらっしゃいます。
声にならない声は止みません。
それでもわたし達は「みっともない」などと彼らに言うことなど考えられません。だってそれが彼らのありようなのですから。自分の気持ちを表すことの何がみっともないのでしょう?
ただ自分を傷つけるようなことは制して、静かな個室に行かせ、泣きたいだけ泣かせます。
個室には彼らの好きなキラキラするおもちゃや飾り物がいくつもあり、静かな音楽も流すことができます。
いつも変わらないそこで休んで、ようやく彼らは穏やかさを取り戻すのです。
もうそんなことはおきません、と約束はできませんので、わたし達の出来ることといったらテレビを消すことぐらいで、えぇ、やりきれないです。
え?話せないのになぜ気持ちがわかると言い切れるのですかって?
おかしなことをおっしゃるのですね。
だって、彼らはわたし達がちょっと躓いただけでじっと顔を見るのですよ、絆創膏を渡してくれたりもします。
気持ちがわからないなんて、あるものですか。
自分もそうするから記憶しているだけではないかっておっしゃるの、あらら。
いやぁね、それなら、わたし達だって似たようなものじゃないですか。
してもらって嬉しいからするのですよ。
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