柚葉×夏川 対談「大江作品の女たち」その1

※前書き※

小説好き(書き)どうしの対談に前書きというのも変ですけれど一応、この文章は2018年4月の柚葉さんと私の対談をまとめたものです。

対談のテーマは『大江作品の女たち』です。大江健三郎作品を読んでない人にはちょっとちんぷんかんぷんの所があると思います。

事前に作品を読むことをお勧めします。

また扱う作品の内容上ちょっと大人向けな内容もあるかと思います。あらかじめご承知下さい。

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・奇妙な仕事
柚葉 いきなり私事から入って恐縮ではありますが、実は、尿検査にひっかかりまして(笑)、どうも血尿の気があるらしい。で、「潜血」の項に丸がついてしまったのですが、調べてみたところ、病気の可能性としては、下は「痔」から、上は「大腸がん」まである。詳しいことが判るのは六月下旬なのですが(この日は四月)、「大腸がんか……。」と、生殺しの状態なんですね。……で、大江さんの作品に『みずから我が涙をぬぐいたまう日』という中編小説があります。その中に、自分を末期がんだと思い込んでいる男が登場しますが、ぼくもまさにそういうモードというか、非常に大江作品っぽい感覚でいます(笑)。
夏川大空(以下、夏川) 尿というモチーフは、大江作品でもよく見られますね。
柚葉 尿は、結構、大江作品を読み解く上で重要なモチーフなのかもしれない(笑)。
夏川 (笑)。
柚葉 で、今回の対談は、その尿にはあまり触れず(笑)、『大江健三郎作品の女達』というテーマでやって行こうと思っていまして、幾つか作品を選んだんですね。
夏川 「奇妙な仕事」、「他人の足」、「静かな生活」、「晩年様式集」ですね。
柚葉 まずは順番にね、「奇妙な仕事」から行こうかと思っているのですが……、ちょっとその頃の大江さんの状況を整理してみたいと思います。大江さんは、1954年に東京大学教育学部文科二類に入学します。その年、「天の嘆き」という戯曲を書きます。で、更に翌年に「火山」という戯曲を書いて、銀杏並木賞を受けます。つまり、大江さんは小説の前に、戯曲から入ったわけです。その後、一足飛びに書かれたのがこの「奇妙な仕事」です。そういう背景を鑑みずとも、大江さんの初期の短編は戯曲的というか……、場を限定するという操作が多く見られます。
夏川 限定しているかどうかは分からないのですけど、狭いところを書いて、広いところに通用するということはあるんじゃないでしょうか。
柚葉 そうですね。狭い世界から深みにはまることで、突き抜けた普遍性を持つということはある。ことに大江作品においては大いに当てはまる感じがします。
 ……それで、「場」を限定するということは、一箇「壁」を作るということでもあると思います。で、かつて俺は、開高健についてエッセイを書いたことがありまして、その時に大江さんの言葉を引用しました。その仕返しというわけではありませんが、ここでちょっと開高健の『われらの時代』論を引用しようと思います。

 一つの環境がある。閉じていて、どこにも逃げ道がない。しかし一度はその壁が破れかける。けれどつぎの瞬間にはふたたびそれが閉じてしまう。どうしようもない。絶望だ
 ……というのが大江君の処女作のときからの発想法らしい。どの作品を読んでもすべてこの式が使われている。ちがうのはそのときどきによって場所や人物や職業だけで、項は変化しても式そのものはすこしもかわらない。

 ということで、「奇妙な仕事」にせよ、「他人の足」にせよ、この公式に当てはまるということが言えそうです。この「壁」というモチーフは、戦後作家が結構気にしていた感じがあって、安部公房はそのものずばり「壁」という作品を書いていますし、三島由紀夫であれば、『鏡子の家』という長編で「壁」に対する独自の理論を説明しています。石川淳は安部公房の「壁」の序文で、「安部公房君が椅子から立ちあがつて、チョークをとつて、壁に画をえがいたのです。」と批評していますが、大江さんの場合は、閉じられた空間の「嘆き」のようなものを描くのに終始している……、まぁそんな感じを受けますね。
夏川 そうですかねぇ……。たとえば、『治療塔惑星』なんかはめちゃくちゃ広がっている気がしますが。
柚葉 いや、これは『われらの時代』の頃までの大江さんの作品を指しているわけで(笑)。時代が下るにつれ、この評は当然、あまり当てはまらなくはなっていきますね。
夏川 はい、『われらの時代』ですね。で、今日のテーマは、「大江の女たち」でしたね。
柚葉 そうです。結局、最後にはそこに帰着できれば、と。……で、そういう観点から見て、「奇妙な仕事」はいかがでしたでしょうか。
夏川 「犬」というものは、たとえば『さようなら、私の本よ!』等にも出てきますよね。
柚葉 そうですね。
夏川 「犬」の描き方自体はそれほど変わってないと思うんですけど、「女たち」と言ったら、これと、最後の方では全然違いますよね。
柚葉 まったく違いますね。
夏川 「奇妙な仕事」には女学生が出ますが、どんな感じを受けますか?
柚葉 どう言っていいか……物語を転がしていくための役割しか担ってないような感じがしますね。
夏川 物語ということもありますが、あまり深いことを考えられないような感じを受けますね。軽薄というか……。
柚葉 それはありますね。軽薄なところは非常にある。少なくとも、魅力的ではないし、本当、物語を進める役割くらいの印象でしかない。
夏川 役割……そうですね。たとえば、
「病院で実験用に飼っていた一五〇匹の犬を英国人の女が残虐だということで新聞に投書し」
 これも女ですよね。
柚葉 そうですね。
夏川 男でも良いような気はしますけど、女なんですね。
柚葉 こういうことを言い出すのは女だろう、という大江さんの思い込みがありそうですね。
夏川 たとえばこの女子学生を男にしたらどうなると思いますか?
柚葉 それほど変わり映えはしない気がしますね。
夏川 そもそもこういう仕事を女性がやりたがるかな、という素朴な疑問があります。
柚葉 まぁ普通やりたがらないよね。……なぜ女にしたのか。やっぱり、女が出ないと小説じゃないと思っているからじゃないですかねぇ。
夏川 この頃の大江さんの女性観が分からないので、なんとも言えませんが、この女子学生というのは、大学には行っていても知的な感じはしないですね。
柚葉 しないですね。
夏川 わたしは女性なんですけど……、女性が知的ではないというようなことを書きたかったのかな、そういう風に見ていたのかな、とわたしは感じました。
柚葉 それはありそうですね。しかしどうして大江さんの中でそんな発想が出たのか……。
夏川 大江さんの時代と言えば、そこそこ封建的ですよね。
柚葉 そうですね。
夏川 これは新潮新人賞応募作のときにちょっと書いたことなんですけど、右寄りの人は男尊女卑みたいなことをするじゃないですか。これにちょっと影響を受けたところがあるのかなぁ……。
柚葉 それは大江さんが当時は右寄りだったということでしょうか。
夏川 右寄りまでは行かないかもしれないけれど……、先生や親、本や新聞……まぁテレビは当時白黒だったと思いますが、そういうのが空気としてあったとしたら、そうかなと思うかもしれない。
柚葉 世間的に風潮があった、と。……で、そうなると気になるのは、当時の大江さんにどれだけ女性との付き合いがあったかという事です。
夏川 そう言えば、大江さんの女性関係と言えば、友達の妹と結婚したという話しか知らないですね。
柚葉 だから、結局よく分からないのだけど(笑)、しかし大江さんの思い込みの中に「女性は知的ではないものだ」というのはありそうですね。
夏川 わたしの感覚で言えば、「女性は知的ではないものだ」と思い込んで小説を書いている人は、あまりモテないですよね(笑)。たとえば、今ネットとかで平気で女性蔑視的な発言をする人がいるじゃないですか。そういうのを見ると、あまりお付き合いはしたくない人だなと……。
柚葉 大江さん、単純にモテなかったのかな(笑)。
夏川 ただ分からないのは、大江さんがそういう女性蔑視みたいなことを言って、当時の女性たちが納得していたのかどうか……。
柚葉 ただね、これは小谷野敦がよく書いていることなんですが、当時の東大生はあまり付き合わなかったらしい(笑)。もっと言えば、大学生のうちに男女の性行為を行うという意識がそもそもなかったらしい。ほんとか嘘かは分かりませんが……。
夏川 男女の付き合いというものがあったのかどうかは分かりませんけど、たとえば文学の話しをする女性の友達がいたということはあるかもしれませんね。
柚葉 あぁ……。
夏川 たとえば、文芸サークルみたいなものがあって、その中に女性もいて、友達みたいに話しはするんだけど、それ以上は深くならなかった、ということがあったかもしれない(笑)。
柚葉 しかし、文芸サークルにいる女性なんて、相当知的だと思うんだよなぁ……。まして東大なんだから。
夏川 うん……。
柚葉 しかし、この「奇妙な仕事」から『われらの時代』くらいまでの作品に描かれる女性というのは、一貫して頭が悪そう(笑)。
夏川 で、筒井康隆さんが、「女の人を馬鹿にして笑っていた」と書いてたのを何かで読んだのですが、だとすると、そういう人に読ませて馬鹿にするために書いてたのかな、という気がちょっとする。
柚葉 なるほど……(笑)。
夏川 あとは、わたし、ライトノベルと読んでると、結構普通のことをやっているのに、女性キャラが主人公の行ったことだというだけで「すごい!」と褒める、みたいな場面がよくあるじゃないですか。
柚葉 よくあるんですか(笑)。
夏川 普通に優しくしているだけなのに、「すごい優しい人なの」とか。
柚葉 なるほど。
夏川 ライトノベル作家の友達とかいますけど、じゃあ女性を知らないかと言えば、わりとそうでもなく、普通の人で、普通に女の人の友達がいる。やっぱり、作者とその書くものって乖離するじゃないですか。
柚葉 ……ということは、小説に女性を書くときに、時代的な「コード」みたいなものがあって、大江さん自身が意識しないままその「コード」に乗っかって書いた結果、女性蔑視的な表現になってしまった……、そういうことでしょうかね。
夏川 あとはね、大江さんの小説に出てくる女性って、みんながみんな知的ではないかと言えば、そうではないですよね。
柚葉 後年のもので言えば、『人生の親戚』なんてのは、知的な女性が本当に魅力的に書かれています。
夏川 だとしたら、当時、「知的な女性はこう書くんだ」みたいなお手本となる小説があまりなかったのではないでしょうか。
柚葉 あり得ますね。でも、「奇妙な仕事」の女子学生は、知的でもないし、魅力的でもないですね(笑)。
夏川 ですね。
柚葉 ……やっぱ下手だっただけか(笑)。
夏川 いや、下手だったというか、あまり長さがないというのも一因としてあるんじゃないですか。
柚葉 しかし、『われらの時代』の女性キャラクターもひどいですよ。
夏川 (笑)。
柚葉 でも、『われらの時代』が出版された当時はめちゃくちゃ売れたんですよ。本当によく売れた。しかし、その「売れた」中に、どれだけ女性読者がいたか……。
夏川 そういうところありますね。
柚葉 だって、怒るでしょ(笑)。女性があんなの読まさられたら。
夏川 (笑)。
柚葉 ですから、これは訊きたいのですが、夏川さんは女性として、どういうとっかかりで大江作品を読み始めたのかな、と。
夏川 小説家を目指そうと思ったときに、いろんなノーベル賞の作家を読みまして、それで大江さんを読み出したのです。
柚葉 腹は立ちませんでした?
夏川 うーん……。「時代なのかな」って思っているくらいですかね。
柚葉 はぁ……。
夏川 今の時代にこんなこと書いてたら、「馬鹿じゃないの」って思いますけど。
柚葉 やっぱ時代のせいなのかな。
夏川 あとね、「理想と逆のことを書く」みたいなことを、大江さんはときどきやりませんか?
柚葉 やりますね。
夏川 ほんとは左翼なのに、右翼をばりばりに書いて書いて書きまくる、みたいな。……そういうことなのかな、と思います。
柚葉 それはしかし、どういう心理なのかな。
夏川 つまり、逆のことを書くことで、「こんな人いないよね」、「こういう人おかしいよね」ってことを書きたいのかもしれません。
柚葉 じゃあ、あえて劇画的に書いているということですかね。
夏川 そう。だから、たとえば『ドラえもん』でジャイアンが描かれていたとしても、じゃあ藤子不二雄が乱暴者かと言えば、違いますよね。
柚葉 違いますね。では、その、劇画的に描くというのは、大江さん的にはどういう効果を期待しているのだろう。読者の神経を逆なでしてやろう、とかかな。
夏川 それもありますし……、大江さんって結構、学生運動とかやっていたっぽいじゃないですか。だとすると、そういうような活動をしている人が書くのであれば、全く別の意味があるんだろう、と皆が読んでいたのかもしれません。
柚葉 あぁ。
夏川 いつも嘘ついている人が何言っても嘘ついていると思われるのと一緒で。
柚葉 しかしそうやって書くことに何か意味があるのかな。
夏川 意味ですか……。
柚葉 でもね、確かにこの頃の大江さんというのは、後年の「私小説的」と言われる作風と比べても、かなり意識的に「つくりもの」として小説を書こうとしていますね。
夏川 そうですね。
柚葉 かなり想像力に頼って短編をこしらえている。
夏川 だとしたら、この女子学生には、「こんな感じかな」と、ざっくりイメージした人はいるかもしれないけど、具体的な人ってのはいなかったかもしれませんね。
柚葉 そうでしょうね。……あと、モデル問題は怖いですからね(笑)。
夏川 モデルと言えば、たとえば、店員さんとかを見て、「こんな感じかな」とイメージして書くのは、モデルですかね。
柚葉 それはモデルではありませんね。                夏川 それなら良かった。 


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