研究は続く
2017年。
個人事業で動き出して二年目から、ぐっと発達の領域に踏み込んでいった。
当時はもみほぐしが本職だったので、常に人の体に関わっていた。
特に子供のこともあって、発達について非常に興味を持っていた。
でも発達障害って言葉、あんまり好きじゃない。
普通の生活を送るとしたら、障害になることかもしれない。
だけど、普通って可もなく不可もなくで「平均」であるということ。
どこかが1でも、どこかが100である。
それって誰でも同じではなく、誰とも違うということだ。
今も、やむなしに使ってはいるけど「発達障害」「障害児」という言葉の重みに沈むこともある。
それはきっと、勝手に外からつけられた枠だからだろう。
ジョブコーチ、両立支援と取得したけど、大人になるとさらに障害と雇用、働くことをうまくマッチングさせるのは難しくなるというのをひしひしと感じる。
年を重ねるごとに経験も増えて、それが良いことばかりでないことがほとんどで、気を抜くと心身にダメージが来て動けなくなる。
障害者雇用を拡大して生産性をどうのこうのと国はいろいろ推し進めてはいるが、実際に生活力をあげるのは難しい。
自分の力の足りなさを感じる・・・
まだまだ知識と経験が足りない。
こういう部分は、いくらデジタル化と言っても支援のアプローチとしてはできることは少ない。
ただ、様々な媒体やツールを使うことで助けて!をキャッチできる幅は広がる。
人が生きていくのには、アナログの人の力は偉大だ。
こえかけ、ぬくもり、愛情。
幼少期に家族から与えられた温かさ。
お母さんのお腹に命が宿ったら、もう遺伝子のプログラムは始まっている。
生まれてからの脳の快状態は自分でも作り出せる。
私はなんだか、進む力があると褒められるのだけど、そのベースを作ってくれたのは秋田にいる大事な家族だ。
特別に褒められて育ったわけでもないけど、かといって失敗した時やうまくいかなかった時責められたりもせず。
ただ見守ってくれた。
大人になってからもそうだけど、どんな時も見守ってくれる存在って本当に有難い。
思う存分、自分に挑戦できる。
デジタルデバイドの格差を埋めるのは、デジタルとアナログと両方必要なのだと思う。
茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親