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おじいちゃんの記憶

8月半ば過ぎたので、父方のじいちゃんの話を。

わたしが3歳の時に亡くなったが、一緒に暮らしていた。
残念ながら記憶には残っていないが、よくばあちゃんが昔話をしてくれた。

両親に恵まれず、親戚をたらい回しにされて大人になったじいちゃん。
その親戚の縁でばあちゃんとお見合いをし、結婚。
自分が苦労した分、家族というものに思い入れがあった。

…が、国鉄に勤めているのをいいことに前借りでローンを組み、いつも月末は四苦八苦。
町内で一番早くテレビを購入したり、新しいものと珍しいものが好きだった。
面白いものや楽しいものがあるとすぐ買いたくなっちゃうんだって。

大抵は「買ったがら!」と事後報告で、「まったくあのじいさんは…」と未だにばあちゃんは言うんだけど、貧乏しながらも4人の子供を育て上げた。

わたしの父はその長男。

このおじいちゃんはそんな困ったところはあったけど、気のいい人でとにかく家族が大好きだった。
ばあちゃんが出産の時には、「おめは寝でれ!」と食事を作ったり家事を代わったり積極的に関わったそう。

晩年、おじいちゃんは腎臓の病気で自宅療養。
私が小さい頃の写真で点滴を片手に一緒に写真に写っていて、ばあちゃん曰く「すごくめんけがってたよ」とのこと。

残念ながら私は記憶がないんだけど・・・

父方の兄弟は2人は近くに所帯を持ち、未だに兄弟仲が良く、母親(私からしたらばあちゃん)を大事に思っている。
冬場は「灯油あるが?」と自分のとこついでに見に来てくれたり、自分のとこのお米や野菜を差し入れたり。

私たち姪にも、すごく良くしてくれている。
おじいちゃんの恩恵で、生きていくことができる。

日々感謝。

茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親