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自分の人生に責任を持つということ

お世話になった経営者の方が「経営者は孤独だ。どれだけ努力をしても評価はされず、むしろ批判が飛んでくる。自分は徹底的な裏方だ」ということを言っていた。

プロジェクトでお世話になったドンは「ボランティアとビジネスはわけないと共倒れになる。ボランティアは小さくていい。そこで稼がない代わりに、ビジネスでは大きく稼ぐことを考えないとスケールが小さくなっちゃうよ。常に、大きいことを考えるのを忘れるな」と言っていた。

本拠地がもうすぐ5周年を迎える。

「本拠地作りたい!」の思いでここまで来て、沢山の人との関わりがあった。

私が、まだなにも武器がなくてひょろい棒を構えて震えていた頃は「頑張れ!」の声が届いてきた。

私が、それなりに強い武器を手に入れて使い方を覚えた頃から、パーティの仲間が「あいつは大丈夫か」「いいように使われてんじゃないの」「〇〇がかわいそう」と言われていると風のうわさで耳にするようになった。

派生して「子どもがかわいそう」「夫がかわいそう」と家族への心配という批判をする人もいたらしい。

そういう人に限って、直接私には言ってこない。

そうか、世界が変わるとこうなるのか。を体感してきたのが去年。4年目だった。

それは私が本拠地を法人化にしたからだ。

やってることは変わらないのに、強くなり始めたら周りからの蹴落としが来る。

先の経営者たちはこういう痛みを体験していたのか・・・

中途半端に出る杭は打たれる。

これが人間世界の常識なのだとしたら、通過儀礼として受け取って更に先に進むだけだ。

そういう人はいなくならないのだから。

批判を怖がってたら思考が狭まる。

打たれるたびにしなやかに強くなる剣のように、自分の武器を磨くことは怠らないようにしよう。

立ってるうちはどうしたって転ぶし、走っていたらぶつかる。

大事なのは、その転び方や回避の仕方。

人のことをあれこれ批判しているうちは、自分のことが疎かになっていることにその人は気づいていない。

自分の責任がないところで、重箱の隅をつついているだけだ。

どんな環境だって、花は咲く。

咲こうとする力。自分を信じる力。

広い大空を目指して、やれることをやっていくだけだ。

茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親