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よく「考えすぎだよ」と言われてしまう
小学校低学年の頃から現在に至るまで、周囲の人からずっと「考えすぎだよ」と言われてきた。
うんざりしてしまう。
毎日寝るなんて寝過ぎだよ。1日3食なんて贅沢だ。婚前交渉なんて乱れている。
これらを言われた時と、同じ気分になる。
じゃあ、みんなはなんでこんなに考え過ぎないんだろう、どうしたら考え過ぎなくなるんだろうと思って対処法を調べていると、
「余裕を持ちましょう!」とか、「割り切って考えましょう!」とか、わけのわからないことを、我が物顔で語っているページに辿り着く。
あと、考えすぎてしまうことを相談した時、「そんなこと誰も気にしてないよ」とか、「明日になればどうでも良くなっている」という声かけをしてくれる人がいる。
でも、誰も気にしてなくても自分が気になっているんだし、明日になってもどうでも良くなんかならないから困っている。その辺りがどうも伝わらない。
ただ、なぜわたしは考え過ぎてしまうのかということを考え過ぎた結果、わたしは、どうもかなり怖がりな人間だということがわかった。
先生やチームメイトに怒鳴られないか、予定が重なってしまわないか、活動する体力を残しておけるか、相手を不快にさせてしまったのではないか。
そういった小さなことに不安や恐怖を感じやすくて、その不安を完全に無くそうとするから、自然と色々なことを考え続けなければいけないという状況になる。
そういえば、ファミレスやチェーンの牛丼店でいつも同じメニューを注文したり、宿泊先の予約を受け付けギリギリの時間まで迷ったりするのも、いつもと違う味がしたり、旅行予定日に他の大事な用事ができないかという懸念が払拭できなかったりといった恐怖がいつも根底にある。
まあ、メカニズムがわかったところで、不安を「感じる」という反射的な部分は直しようがないし、考えたところでどうにもならないと割り切ることもできないのだけれど
「考えすぎる」のが良い方に作用する局面を、なんとか見つけたいものである。
こんな風に文章を書くという場面は、その一つかもしれない。
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