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スターへの道は遠い

【企画】なんであの時、あんなに頑張れたんだろう?


めげないやつ子さんの企画に参加させていただいてます。
やつ子さんとは初めましてです(。ᵕᴗᵕ。)"
noteのお友達のchiyoさんの記事を読ませて頂き、私も書いてみようと思いました🍀
今だったら無理かもしれないけど、どうしてあの時はあんなに頑張れたのかな?
そんな経験私にもあったなぁー!と。

◎めげない部門
◎意地になってた部門
◎夢中だった部門
◎火事場のバカヂカラ部門
◎若かった部門
◎(ご自分で考えた)○○部門

「夢中だった部門」で参加します!

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Nizi Project やTHE FIRSTなど、いまのオーディション番組はレベルの高さに圧倒される。
私の周りにも、オーディション番組を見て推しを探すとか、新しいグループが誕生するまでを見守るのが趣味だ、という人が沢山いる。

チャンスを掴もうと必死で挑戦する姿に共感したり、感動したり、自分が出来ない事をしている人をリスペクトしているのだろう。

私の青春時代のオーディションといえば、スター誕生や君こそスターだ!など、テレビのオーディション番組だ。

80年代はアイドル黄金期とよばれていた。
聖子ちゃん、明菜ちゃん、キョンキョン、伊代ちゃん、秀美ちゃん…
次々と出てくるアイドルがキラキラ輝いていた。
ザ・ベストテンを見ながら、マイクを片手に歌って踊っていたごく普通の中学生だった私もまた、オーディション番組を見るのが大好きだった。

今回は、私が中学生の時、ひょんな事からそのオーディション番組に出演したときの話を、書いてみようと思う。

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同じクラスのNちゃんは、お父さんが某テレビ局にお勤めで、テレビ局の音楽学院に入っていた。

そこでは、年に数回オーディションがあって、"スターの後ろで踊る人達"のオーディションの他、テレビ番組の予選会にも申し込む事が出来るらしい。

私はその音楽学院に憧れていた。でもうちの父はテレビ局とは全く関係ない土建屋で、音楽学院はキラキラした別世界✨
今考えたら別に親の職業は関係なくて、入る方法はあったのだろうけど(笑)、おバカな中学生には考えが及ばなかった。

そんな中学3年の夏、「soraちゃんも一緒に行かない?」と、Nちゃんからオーディションの申し込みハガキを渡されたのだ。

えーーーー!いいの?🥺✨

興味津々😍Nちゃんに付いていく気満々の私は、喜んでハガキをテレビ局に送ると、すぐにオーディションの日時を書いた返信ハガキが届いた。
それからの毎日、私は日々テレビと一緒に歌い、学校から帰ると自主練♪
兄の話では、私の歌声は、近所の八百屋さんくらいまで響き渡っていたらしい(笑)
ご近所のおばちゃん達もみんな応援してくれてたっけ🥺

そしてついにやってき予選会当日、Nちゃんと私は意気揚々と会場へと向かった。

そのオーディション番組はスター誕生、略して"スタ誕"
百恵ちゃんやピンク・レディー、小泉今日子、中森明菜、往年のアイドル達を排出した番組で、初代の司会は欽ちゃんこと萩本欽一さん。昭和世代の方ならきっと一度は見たことがあると思う。

テレビのオーディションに出る前の予選会は、地方予選も含めて年に10回ほど。
会場には毎回400~500人の挑戦者たちが集まる。一次、二次、最終審査を経て合格するとテレビ予選に出場、テレビ予選で合格すると決戦大会に出場出来て、そこでプロダクションの方達がスカウトするというシステム。

まず、人の多さにビビる😱
でも、予選会を突破しなければ何も始まらない。
番号を胸につけ、順番にピアノの前に進む。

ピアノを弾いているのは、NHKのど自慢で有名なアコーディオン奏者の横森良造さんではないかー!
次から次へと軽やかに伴奏をしてくれる。みんなそれぞれに申し込んだ曲を歌う。
流れ作業のように最初の4小節だけしか歌えないのだけど、歌を忘れてしまったり、途中で詰まってしまうとブー!とブザーが鳴っておしまい💦
すごい緊張感だ。あっという間に自分の番は終わり、待ってる時間ばかりが長い。

一通り歌い終わってから30分後、2次審査に進める人の番号が壁に張り出された。
2次審査に進めるのは、50人くらい。ドキドキしながら合格発表を待つのも、初体験だった。

あった‼️
残念ながらNちゃんは2次には進めなかった。終わるまで待ってるよと言ってくれたNちゃん。Nちゃんの分まで、私が頑張らなきゃ!と力が入る。

2次審査も同様に4小節を歌い、最終審査に残るのは10人くらい。
最終審査でやっとワンコーラス歌う事が出来る。私は最終審査まで残った。
私が歌った曲は、タッチの主題歌でお馴染みの、岩崎良美さんの赤の黒というデビュー曲。

でも、最後まで歌わせて貰えず、はい!結構でーす!と途中で切られてしまった。
~恋は秘密めいた方が素敵〜♪ここからが好きだったのに…😭YouTube動画を見つけました。お姉さんの宏美さんと、百恵ちゃんも見守ってます♡夜のヒットスタジオかな?

ドキドキしながら最終審査がおわった。
最後の結果発表は、その場で番号が読み上げられた。何人合格したかは覚えてないが、数人だったと思う。

ダメだと思っていたのに、私の番号が呼ばれた!
まだテレビ予選に出られるだけなのに、有頂天になってもう気分はアイドルだった笑。
でも、毎回こんな予選会をしながらテレビ収録をしているのか…とこの時に初めて知った。
予選会に来ている人の中には、何度もチャレンジしている人も多くいただろう。現に明菜ちゃんは、3回も挑戦して合格した。


私はその後、調子に乗って色んなオーディション番組に応募して予選会に行ったけど、他のオーディション番組に出る予定があるかと必ず聞かれて、掛け持ちをしてはいけない事も知った😅今にして思えばいい社会勉強だった。

それから数ヶ月後、後楽園ホールでの番組収録。司会は西川きよしさんに変わって2回目。
ゲストには沢田研二さん、スター誕生出身の渋谷哲平さん、デビュー前の中森明菜ちゃんはレッスンに来ていた。
頑張って!と握手してくれた明菜ちゃん。オーディションの時から見ていたのでめっちゃ親近感が湧く。優しくて可愛い笑顔に一気にファンになった。

階段を降りる練習や、歌を歌う位置や、合格!おめでとう✨のところまで通してリハーサル。
元気がないから、階段でこけるくらいしないと、合格できないよ!と喝を入れられた。
そして本番。

割とおとなしめだった私は、そんなことをする勇気がなくて、めちゃくちゃ元気だった同じ歳の女の子が合格。あっさり私の初テレビ出演は終了した。

会場に応援に来てくれていた、同級生たちに頑張ったね!と声を掛けてもらって、初めて泣いた。
初めて悔しい…と思った経験だった。


スター誕生とネット検索したら、西川きよしさんとジュリー(沢田研二さん)を発見!私が出た回の画像✨あの頃はビデオデッキも持ってなくて、録画してもらったテープもどこかに失くしてしまったけど、ジュリーの画像だけでもあってなんだか嬉しい😊

麗人の衣装のジュリーと西川きよしさん

番組が公開されたのは、お正月明けだったと思う。放送後、中学である意味有名人になってしまった私…合格だったら堂々と出来たけど、不合格だ。恥ずかしさもあった。
通学路でも後輩にコソコソ噂され、トイレには友達がいないとひとりでは行けなかった。

こんな事を毎回続けている人は、本当にすごいと思った。
私のスターへの挑戦はあっけなく終わった。

その後、高校に入学した私は、軽音楽部に入部して、文化祭や地元でのコンサートで、たくさんのステージに立った。
オーディションに行く前のワクワク感、もしかしてアイドルになれるかも?なんて希望や、夢に後押しされて、何も怖くなかった頃の懐かしい思い出。
そして私の青春時代は、スタンドマイクとスポットライト✨

𖤣𖥧𖥣。𖡼.𖤣𖥧𖡼.𖤣𖥧⚘𖤣𖥧𖥣。𖥧 𖧧𖤣𖥧𖥣。𖥧 𖧧

スターへの道は遠い。
夢は叶うと信じる強い意思と覚悟、不屈のチャレンジ精神が合格への鍵となるという事は、いつの時代も変わらないなと思う。

我が息子も、ジャンルは違えど今も夢を追いかけている。夢を持つこと、それを実現する事は素晴らしい事だ。
何にでも挑戦して、経験して、悔しい思いも辛い経験もたくさんして欲しい。

夢が叶う人、かなわない人を分けるある法則という気になる記事を目にしたので、ここに紹介。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました✨

#めげない企画頑張れたこと





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