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箸休め

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連載小説の息抜きに、気ままに文を書き下ろしています。文体もテーマも自由な随筆、エッセイの集まりです。あなた好みが見つかれば嬉しく思います。
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#食の風景

「どなた様もご乗車になってお待ち下さい」

 令和四年、年の瀬。今年も、遂に、ここまで辿り着きました。  年越しそばです。  数日前から黙々仕込んできたおせち料理を全て作り終え、最後に仕上げるのがこの年越しそばです。牛肉と長ネギを前日からことことさせて作った醬油ベースのお出汁が家族の集まる居間いっぱいに広がりました。さてさて、それでは、 「いただきます」  おっと、その前に。  今年もnoteで創作を続けながら、多くの御方とお会いし、温かいコメントの数々や励まし、サポート、更には長編小説をお手に取って頂きました

「秋の彼岸に色とりどりのおはぎを」

 刷毛で伸ばしたような薄雲が広がる秋空の下、土手に並ぶ彼岸花は地元の小学生が植えたものです。小道に並んで、今年も秋の彼岸を迎えました。仕事と執筆の合間に作れるかな、どうかな・・・と思いつつ、そろそろあんこが食べたいと思います。台所で材料の在庫を確認。 もち米220gに米320g。もち米100%が好きですが在庫が無いので今日は混ぜます。はかりでグラム計算したため3合以上に。 ※一合は約150g・180CCです。 あんこ・・小豆210g、三温糖100g、黒糖3かけら、塩ひとつ

「御先祖様の御蔭さま」

「もう止そうかと思いましたがお盆の話をします」 「ええー今更ー?」 「はじめます」                 *  おそらく、この夏はまだ多くのご家庭が直前まで悩まれたのだろうと推測致します。御多分に漏れずわが家と、そして数年帰省を見送った妹家族も、互いにぎりぎりまで、それはもう前日まで悩みに悩み抜いて、それでも互いに元気で、対策を万全にする事で帰省は可能だと判断して、今年、やっとお盆の帰省を迎えることができました。  これはそんなわが家の、育ち盛りの甥姪たちを全

「和菓子の日に 其の二」

6月16日は和菓子の日なので、和菓子写真展を今年も急遽出す事にしました。ただ和菓子の写真が並んでいるだけです。いちが食べた和菓子の中で撮影忘れなかったものだけあります。忘れた物は胃袋の中へあります。因みにたべっ子どうぶつは違う気がしたので載せませんでした。和菓子は御褒美です。おいしいおいしい御褒美です。        いち 「ごちそうさまでした」 和菓子に栄光あれ。                        

「一枚のポテトチップスが私の口に入る迄」

 私事で恐縮だが、ポテチと云えばカルビーのポテトチップスを贔屓にしている。今では滅多に食べなくなったけれど、あのパリッとした食感と絶妙な塩味、或いはコンソメ味が無性に食べたくなる時がある。因みに子ども時代に誕生したピザポテトは贅沢品だった。大人になってから存在を知った堅あげポテトブラックペッパーの虜になった。私はきょうだいが多く、お菓子は器へ分けて入れるのが当たり前であったから、スナックの袋菓子をばりっと開けて、袋へ直接手を入れ、一人で抱えて食べても良いと知ったのは、かなり大

「正方形の織り成す和菓子模様から国境を越える」

ビニールの包装を外した途端に木の香しさが鼻腔にすうと広がって、途端に林の中へ立たされていた。気分が大変に良い。逸る気持ちを抑えながら、手元の木箱の蓋へ手を掛けた― ああ、何と云う愛らしさか。これは、和菓子屋さんでとんと巡り合った節分の和菓子の升箱である。この正方形の慎ましい箱の中へ紡がれた和菓子の美しさに暫し見惚れる。形、並び、配色。背景を思い浮かべない訳にいかないではないか。凝と眺める内、心模様は水流のように滑らかに運ばれて、そしていつしか、国境を越えていた。 日頃、自

「踊るラフランスと身と心」

果物を食べている。 今朝も季節の果物を食べている。 人へ御歳暮で送ったのと同じ果物を食べてみる。 寒さで足踏みしたけれど無事追熟できた果物を食べている。 この季節だからみかんとりんご、そうしてラフランスを食べている。 サンふじとの触れ込みであったけれど届いたのはふじだったから一層喜んで食べている。 美味しい。季節の果物ってどうしてこんなに美味しいのだろう。 朝だけじゃなくて昼も、夜までついつい食べていたら、御歳暮に果物が届けられた。 そうして別の方面からも、みかんが職場とわ

「秋の彼岸、朝霧に姿隠す名月を見た。おはぎ作る」

 春分の日は出遅れた。秋こそはと望みだけ持っていたら、もう秋だった。今度は幸いにして前回作ったあんこが冷凍庫にある。風味は劣るけれど作らないよりは幾分か気が休まる。と云う訳でおはぎを拵えた。  今回は青海苔ときな粉。中にあんこが入っている。箸で割ると顔出す。 はい、美味しい。何と云うか、顔みたいである。青海苔は美容院帰りのパーマ当て過ぎた人みたいで、見ようによってはソバージュ。奥のきな粉はむっつりした子どもみたいだ。じゃあ親子だな。 「母さんなんでそんなパーマかけると?

「小豆がぐつぐつ、ことこと、あんこに姿を変える迄、静かに筆を執っている」

 天気予報は外れて、朝から太陽の照り付ける。朝と夜とが半分ずつではない今日と云う日に、久し振りであんこを作ろうと思い立つ。打ち明けるなら、執筆の隙間。  台所に執筆の相棒を持ち込んで、鍋で小豆をじっくり炊きながら、このあんこの文を書いている。台所にはベランダへ出るようなガラス扉が二枚ある。外の風を入れるに丁度良いその扉の、網戸の在る方を開けている。レースが微かに揺らめいては、風の通りを知らせてくれる。送れて足元に涼が漂う。ドイツ菖蒲に気圧されて大きくなり損ねた今年の紫陽花が

「初物を買うと頭の中が大家族に戻ると云うお話」

 買い物へ出かけてとうもろこしに出会った。初物だ。今年も初物を追い掛けては食卓を賑わし、食いしん坊のお腹を満たして来たと思ったら、もうとうもろこしときた。先日から西瓜も見かけるし、全く、季節の流れゆく速さときたら、光よりも矢よりも速いのではなかろうか。  とは云え、出先で初物を見掛けると、妙に心がはしゃぐもので、目が合った瞬間の、と自分の方ではそう思っているのだけれど、「あ!」となった時のはにかむような喜びは、一年中いつでも棚に並んでいる市指定のごみ袋を手に取るのとは大違い