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箸休め

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連載小説の息抜きに、気ままに文を書き下ろしています。文体もテーマも自由な随筆、エッセイの集まりです。あなた好みが見つかれば嬉しく思います。
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#和菓子

「かこつけて桜餅」

 おつかいの序に、ふと思い立ち久し振りで和菓子屋へ寄った。街中で綻ぶ花の蕾や気の早い桜を見かけるうち、「春」を思い出したのだ。 「春」といえば。その問いにはきっと、百人寄れば百通りの答えが返ってくるだろう。その時々の気分にも左右されるだろう。私は常から気候を意識してしまう人間だから、この頃は三寒四温の只中に居るな、と、まるで台風の目の中にでもいるかのような気分で日々を暮らしている。そうかと言って何ら不自由はなく、寧ろ風を楽しんでいる。雲の変化を楽しんでいる。  人対人に煩

「あずきを炊いた、そんなGW」

 懐かしさからベビースターラーメンの4連パックを買った。今日は一番好きな、というよりこの味の為だけに買ったんだけど「鶏ガラしょうゆ味」を食べた。  夜。  Tシャツの胸ポケットにベビースターの欠片が三本入ってる・・  それに今気づいた。  子どもか    そんな他愛もない連休を過ごす私。  お休み二日目の昼、かねてより機会を伺っていた「あんこ」作りを実行した。小豆を炊くのはかんたん。あんこはすぐにできる。できるのだけど、中々作れずにいた。  春分を逃した。季節と共に楽

「日和写真館」

春の陽気に誘われて、足を運んだ四月のよりみち。気ままに向けたカメラの向こうを、どうぞ。 けれどもまあ、花より団子。                           おわり

「文字で親しむ和菓子」

「事典 和菓子の世界」 中山圭子著・岩波書店 を読んでいます。 本のタイトル通り、開けばそこに奥深い和菓子の世界が広がってゆきます。著者は和菓子の造詣が大変深い御方で、その上見識の広さは和菓子のみに留まらず、この国と諸外国の歴史を見詰めながら、あらゆる角度から和菓子の成り立ちや物語が語られます。歴史を掘れば掘る程に現代に通じる和菓子の原型が詳らかにされていき、私はすっかり本書に魅了されています。 近頃巷でもあんこが流行っていると聞きます。反対に和菓子離れが目立つ為、和菓子

「秋の彼岸に色とりどりのおはぎを」

 刷毛で伸ばしたような薄雲が広がる秋空の下、土手に並ぶ彼岸花は地元の小学生が植えたものです。小道に並んで、今年も秋の彼岸を迎えました。仕事と執筆の合間に作れるかな、どうかな・・・と思いつつ、そろそろあんこが食べたいと思います。台所で材料の在庫を確認。 もち米220gに米320g。もち米100%が好きですが在庫が無いので今日は混ぜます。はかりでグラム計算したため3合以上に。 ※一合は約150g・180CCです。 あんこ・・小豆210g、三温糖100g、黒糖3かけら、塩ひとつ

「秋が降る」

秋の入り口が見えたと天高き空を見上げたのもつかの間、暑さが息を吹き返し、これでもかこれでもかと言わんばかりに熱を押し付けて来る。だけど季節は戯れに進んでゆく。押し問答していても、知らず世間を導いてゆく。 もう一度顔を上げる。 実りの秋が、わたしの手のひらへすとんと落とされた。 秋の銘菓、早々に味わう機会を得るとは幸せ者だなあと思う。頂き物の栗きんとん、うましうまし。 山梨県産の巨峰とシャインマスカット。八月のお盆の後、ちょっぴりお手頃価格になる。今がチャンスとばかり買い物

「和菓子の佇まい」

 お呼ばれしたお宅に伺って敷居を跨いだ途端こんな素敵な和菓子に出迎えられたら、身も心も綻ぶ。梅雨前線が湿度を置き去りに列島から離れて世間がうだる中、私はそんな居心地の良い体験をして居た。お隣さんの和菓子は甘い水色、きっと紫陽花の君。器も好きで写真を撮らせてもらった。    和菓子のおいしさのみに止まらず、歳を重ねるごとに、その姿形に魅せられている自分をこの頃になって発見した。何しろ桃色だの黄色だのの園帽被って空色の園服に袖を通し、砂場で延々山を築いては爪の中まで黒くして素手

「和菓子の日に 其の二」

6月16日は和菓子の日なので、和菓子写真展を今年も急遽出す事にしました。ただ和菓子の写真が並んでいるだけです。いちが食べた和菓子の中で撮影忘れなかったものだけあります。忘れた物は胃袋の中へあります。因みにたべっ子どうぶつは違う気がしたので載せませんでした。和菓子は御褒美です。おいしいおいしい御褒美です。        いち 「ごちそうさまでした」 和菓子に栄光あれ。                        

「正方形の織り成す和菓子模様から国境を越える」

ビニールの包装を外した途端に木の香しさが鼻腔にすうと広がって、途端に林の中へ立たされていた。気分が大変に良い。逸る気持ちを抑えながら、手元の木箱の蓋へ手を掛けた― ああ、何と云う愛らしさか。これは、和菓子屋さんでとんと巡り合った節分の和菓子の升箱である。この正方形の慎ましい箱の中へ紡がれた和菓子の美しさに暫し見惚れる。形、並び、配色。背景を思い浮かべない訳にいかないではないか。凝と眺める内、心模様は水流のように滑らかに運ばれて、そしていつしか、国境を越えていた。 日頃、自

「秋の彼岸、朝霧に姿隠す名月を見た。おはぎ作る」

 春分の日は出遅れた。秋こそはと望みだけ持っていたら、もう秋だった。今度は幸いにして前回作ったあんこが冷凍庫にある。風味は劣るけれど作らないよりは幾分か気が休まる。と云う訳でおはぎを拵えた。  今回は青海苔ときな粉。中にあんこが入っている。箸で割ると顔出す。 はい、美味しい。何と云うか、顔みたいである。青海苔は美容院帰りのパーマ当て過ぎた人みたいで、見ようによってはソバージュ。奥のきな粉はむっつりした子どもみたいだ。じゃあ親子だな。 「母さんなんでそんなパーマかけると?

「小豆がぐつぐつ、ことこと、あんこに姿を変える迄、静かに筆を執っている」

 天気予報は外れて、朝から太陽の照り付ける。朝と夜とが半分ずつではない今日と云う日に、久し振りであんこを作ろうと思い立つ。打ち明けるなら、執筆の隙間。  台所に執筆の相棒を持ち込んで、鍋で小豆をじっくり炊きながら、このあんこの文を書いている。台所にはベランダへ出るようなガラス扉が二枚ある。外の風を入れるに丁度良いその扉の、網戸の在る方を開けている。レースが微かに揺らめいては、風の通りを知らせてくれる。送れて足元に涼が漂う。ドイツ菖蒲に気圧されて大きくなり損ねた今年の紫陽花が

「気になっていたあの和菓子をお取り寄せしてみる」

 元来和菓子と云うものは、文字も粋な看板掲げたる街の一角歩き訪ねて、からからと硝子戸を開け、途端にしいんとこちらの心と体に染み入る小豆やらもち米やらの香りを嗅ぎつつ、ガラスケースを覗き込んで、あれも良し、これも良し、どれを買おうと散々迷い、迷った挙句にふたつみつ、選りすぐった美しきものをほくほく顔で懐に抱きて持ち帰り、熱い煎茶など淹れて、ふうと一息畳に腰下ろせば、待ってましたと両手擦り、先ず包み紙の和紙の匂い楽しみて、取り出す折箱楽しみて、遂に開けて広がるは夢。その匂いまた目