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だが、情熱はあるを3ヶ月観て

オードリーのオールナイトニッポンを社会人になってから丸5年、毎日の救いとして聴いてきました。そんなリトルトゥースは世の中にいっぱいいると思うし、そんな自分にとっては最初ちょっと不安なドラマだったのが『だが、情熱はある』でした。ジャニーズがどうとかでは無く、たりないふたりを何度も見返して、毎日Creepy Nutsを聴いて、毎週オールナイトとJUNKを聴いてる人間にとっては、題材として不安でした。

ただ、不安だったのは公開前のYouTubeに上がったpvを見るまでで、その瞬間にすごそうとシンプルに思いました。

その高揚は最後までそうで、どこを区切っても刺さるものがありすぎる作品で、正直言葉にできないなというのが翌日の今思っていることです。

サクセスストーリーというには生すぎるし、足りないということはサクセスする中でも変化しながら変わらずそこにあり続けるものであり。足りないものを克服したら、次の足りなさが目の前に現れるというのはまさにこの5年間の自分の日々でした。2人と同じ2019年に結婚した自分にとっては、そこからの変化も人ごととは思えず、結婚した人としての足りなさを共感してきました。

それはつまり、
成功者も苦労してたんだよ、ではなくて
成功者と思われている人も足りないんだよ今も、であって。

残酷でもあれば、ここまで幸せなこともない、ということを生きながら、何度もそこで漫才をしながら証明してきたこの人たちの在り方を、また新しく別の人たちが作品にする。
エンターテイメントとしてこんなに美しいことがあるのかと今も思ってます。

オードリー、南海キャンディーズの2組の芸人の生き方を一つの線で繋いで作品にするということは、それだけで意味がありすぎるからこそ、すべての点に意味を込めたんだなというのが製作者たちの覚悟でもあり、だからこそ点が線になる。

すべての場面に意味があるということをど真ん中にエンターテイメントとして表現したからこそ、今日をちゃんと生きないといけないとシンプルに思いました。点を打たなければ、線にはならない。その点がどんな些細なものであっても、だが、情熱はある。

この作品を届けてくれたことにも、この作品に感動できた自分にもいまはただありがとうございました。という感謝を。
(いろんな場面をまた語りたいなと)

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