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世界は愛のないせっくすでいっぱいになってしまったの

何事かってタイトルにしたけど、村上春樹さんの短編から引用した。

私の極めて個人的で偏った愛情です。

怒られる!

何の気なしに村上春樹さんの『雑文集』を読んでみた。

すっごい面白かった。

この前は『海辺のカフカ』を読んでみたりした上で、あの作品が伝えたかったものを私が受け取れたかは怪しいと思う。

何冊か村上春樹さんを読んでみて、どれも非常に軽やかに読み進められる印象を受けた。

『ノルウェイの森』も『1Q84』も、『色彩を持たない…』でも、もっと他の本でも、主人公が本当に器用な万能人間である…気がする…。

容姿(どちらかと言えば)端麗、何でもそつなくこなし、生きていく上で能力面で決定的に悩んだりはしない。

安定して生きていくことはできるけど、その上で悩む。

それは恋人や友人を失う形だったり、その点では共感できるけど、本当の意味で主人公に共感する作風ではないのかもしれない。

だって隙らしいものがなくて、私からすると(立派な人間だなあ)と思ってしまうのです。

『1Q84』の青豆ちゃんは鬼のように怒るシーンがありますが、そこについても極めて淡々と描写されていたと思う。

『雑文集』で、巨大な壁と卵について話したパートが大好きだ。

とてつもなく大きい壁と、それにぶつかって割れる卵。

そういうものがあるなら、私は必ず卵の側に立つ。

そういうふうに小説を書きたい。

小説を書く上でのスタイルをいろんな表現で話されていた。

「誰しもが求めている大事なもの。それは一生手に入らないかもしれないし、運良く手に入ったとしても、決定的に損なわれているかもしれない。それでも、私たちが生きていく意味はなにか。それをずっと書きたがっている」

のようなこととか、

「狭い部屋で、僕と妻と、たくさんの猫たちと一緒になって、寒い夜を明かした時期があった。とてもきつい生活だったけど、あの時の感覚は大切にしている。自分の体温と相手の体温と、猫の体温の境目がなくなる。自分の夢と相手の夢の境目がなくなる。そういう感覚が伝わってくる小説」

「小説を書き始めた時も、自分のために書いた。この世界の中で、自分にとって安全な場所を作るため」

読む人にとってもそうであるような小説…のような文脈だったと思う。

10代で愛読していた作家の一人がドストエフスキーだったり、カズオ・イシグロさんの作品もずっと追っていたり。

小説家というのは何も無いところからいきなり何かを生み出せるような生きものじゃない…今あるもの、誰もが知っているようなものたちを使って、「既成観念を使って既成観念じゃないものを作る」、それが才能じゃないか。

そして、村上春樹さんが繰り返し書いていること。

「自分のことを天才だとか思ったことは一度もない。ただ、こうして長い間小説を書き、その印税で生活をしていることに感謝している。そういう適性のようなものはあったと考えてもいいのかもしれない」

個人的に、

「翻訳する時に大切なのは、その本に対する愛情はもちろんだ。その本のパートナー…こちらにとってもその本が人生のパートナーとなるわけだから。その上で私が同じくらい大切だと思うのは、その本に対する極めて個人的で偏った愛情だ。それこそが私の愛するものだ」

という言葉も大好きだ。

知れば知るほど、あの人が何者なのかわからなくなっていくんじゃないか。

巨大な壁というのは、つまりこの世界のシステムのようなもの。

それにぶつかって、割れる卵。

…作家魂!

カッコいいです!

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