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2020年創作について

 こんにちは、深瀬空乃です。
 2020年、コロナ等で大変なことも多く、また、私自身も大学受験の年であり、思いのほかドタバタする年になってしまいました。
 それなりに筆は執っていたつもりですが、執筆を休んでいた期間も長く、ここで振り返ることができる作品などはあまりありません。なのでこのnoteでは、カクヨムに投稿した中短編を少し振り返ったあとに、今年得た私自身の創作論などを語る場にしたいと思います。



短編

 まずこの一年で公開した短編についてです。

 こちらは去年も振り返りましたが、短編「憧憬」。わたしとしてはショウケイ、と読むつもりでタイトルを付けました。

 ちゃんと撮りたい、と思った。彼女を、この空気を、この光を、きらめきを。それにはきっと、技術も向上心も何もかもが足りていないことも。新はそっとカメラを降ろすと、スポットライトに照らされる夏希を見つめた。

 綿津見さん主催の「アンソロジー光(公式Twitterはコチラ)」に寄稿した作品で、現在は自サイトのみで掲載しています。
 この作品はたくさんの人から感想をいただき、非常に励みになりました。大型企画に参加したのはこれが初めてで、とてもいい経験をさせていただいたと、時間が経った今でも思います。
 作品の内容としては、夢を追うふたりの高校生、といった感じのものがたりです。カメラが趣味の男子がもうカメラをやめる、と心に決めるところからはじまります。アンソロジー光からぜひ読んでくだされば幸いです。



 次に「魔女の名前」。

「あやめ色の魔女って呼ばれてるのか、あんた」
「へえ、そうなの。知らなかった」

 森に住む魔女と獣人の少年、それからふたりの名前にまつわるお話です。
 これを書いたとき、わたしは絶賛スランプだった記憶があります。公募用に書いている長編が終わらず、進まず、それにつられるような形でほかの作品も書けなくなり……それを脱却すべく試行錯誤していた時、即興小説トレーニングというサイトで書いたのをきっかけに書き上げたお話でした。  全体的に反省点が多い作品でもありますが、同時に反響も多かった作品でした。とある知り合いにはとてもうれしく同時にためになる感想をいただき、またとある知り合いにはキャラクターの喋り口調が好きだと言ってもらい、悩みに悩んで「どうしてわたしは小説を書いているんだ……?」となりかけていた時期を抜ける足掛かりとなってくれました。書き上げて良かったです。
 魔女と獣人のささやかな心の交流について書きたかったのですが、書きたい部分が先行して他があいまいになってしまった感じも残りました。そもそも適当に補っていくつもりで、その世界についての設定もろくに詰めずに進めた話でもあったので……いつかリライトしたいものですね。文章の書き方に迷走し、漢字ばかりつかっていた時期でもありましたが、この作品をきっかけに元のスタイルに立ち返ることができたのもあったので、思い入れの深い作品のひとつです。というか、そもそも今年書き上げた話がこれとあともうひとつしかないのですけれど。
「魔女の名前(カクヨム版)」


最後に、「がらんどうに落ちる」です。

「だから恋に落ちるっていうのかもよ。どうしようもないから」

 こちらは、明け方に海辺で話しているとある恋人たちの話です。わたし自身は基本純愛ものがすきで、一途にお互いを思い合うような恋人関係、あるいは信頼関係について描きたいと思って筆を執ることがおおいのですが、今回は珍しくゆがんだ恋人関係のふたりについて書きました。現実の恋や愛って案外あいまいなものが多いよな……と思って。
 お互いに気を許し合っている関係性をセリフからなんとかみせようと思った記憶があります。それ以上に「悪口言い合えるような関係っていいよな~!」と性癖に走った記憶があります。前述の魔女の名前でも魔女の女の子が口が悪いし、ちなみに今練っている中編の主人公も口が悪く、もしかしたら私は口が悪い関係性が好きなのかもしれません。紳士的な騎士のようなタイプのキャラクターが好きなはずなんですけどね……。
「がらんどうに落ちる(カクヨム版)」


創作論について

 大前提として、創作論などというものは大抵机上の空論であり、それを生み出した当人にしかぴったり当てはまる場合はないと私は考えています。言ってしまえばこれから書くのは私自身に当てはまる創作論を簡単にまとめた備忘録でして、つまりはただの散文です。

▽創作における執着について

 これは個別にnoteを書いた話題でもありますね。
 今年四月ごろ、公募用に書いていた作品をひとつ没にしました。作品は完成させるのが最優先だとはよく言われるものですが、プロット上ではあと一章と半分(おそらく3~4万文字)のところで挫折し、そこまで書いていた11万文字ほどをまるまる捨てることにしたのです。
 原因としては、プロットの詰めが甘かったといえばそれまでですが、過去の設定に執着しすぎてそれを補うための理由付けに奔走し、あちらこちらへと風呂敷を広げすぎたことが主なものでした。ひとつ嘘をつくとそれを隠すためにまた嘘をつかねばならぬように、ひとつ理にかなわない設定を採用すると、それまで筋にそって動いていた物語が脱線してしまうのです。結果的ににっちもさっちも書けなくなり、高校生活を謳歌していたのもあり二か月ほど筆をおきました。マインクラフトに没頭しました。
 創作における執着、というのは、過去の自分に執着することを言っています。たとえば、中学生のころに作った話であるキャラクターの瞳の色が赤だったとして、それを精査せず採用し、あまつさえそこに無駄にこだわることなど。今のプロットではたとえば瞳の色が青のほうが様々な物事がスムーズにすすみ、また変更によるデメリットなどもないにも関わらず、私自身のこだわりひとつで赤色を優先してしまうのです。結果その行為はプロット、ひいては作品を破壊してしまいました。
 そこから私は、自分の作品づくりの際、自分のこだわりは大事ですがちゃんとこだわるところとこだわらないところのメリハリをつけることを意識しています。妥協していいポイントといけないポイントです。自分の中でしっかりと話し合いを行って、ここは引いていい、こだわらずに作品のクオリティのために切って捨てよう、しかしここは譲れないからほかの部分を調整しよう、と繰り返していくことで、プロットや本文を組むのがだいぶスムーズになりました。
 なんだかこうして書くと反省文のようですね。反省はしていますが。


▽創作におけるオーバーな表現について

 創作論の難しいところは、最終的な塩梅が作者本人にゆだねられていることが多く、なんなら論の中でも正反対のことを言っていることが多いところだと思います。いえ、もしかしたら○○論だなんてそんなものが多いのかもしれませんが。

 オーバーな表現について、というのは簡単で、作品において見せたい部分をもっと強調して繰り返し書いていい、という気付きでした。
 わたし自身の意識として、たとえばキャラクターの関係性だとしても、何度も何度も同じようなやりとりを繰り返させるのには抵抗感がありました。さっきやったじゃん……と思って消してしまうことが多いです。でも実際世に出ていたり、わたしが好きだと思う作品は、同じやりとりが繰り返され、一度では見逃してしまうかもしれなくても、何度もそれが描かれることによってそれが強く印象付けられます。しつこい、と感じさせず、ただ印象に刻む書き方があるのです。
 読者を意識すべしというのもよく言われることですが、その通りわたしが何度も考え味わっている物語だとしても読者は初見、何度かオーバーに繰り返すくらいでちょうどいい。
 これに気が付かせてくれた作品は、親の薦めで読んだ「宝石商リチャードの謎鑑定(辻村七子/オレンジ文庫)」でした。この作品では、容姿端麗眉目秀麗な宝石商・リチャードに向かい、主人公である正義がなんども繰り返し容姿、あるいは内面が美しいと伝えます。景色や宝石に例え、イケメンというよりは芸術品よりなのでしょうか、そういった旨の誉め言葉をなんどもなんども繰り返すのです。一冊の本の中で何度正義がリチャードを褒め称えたのかわかりませんが、しつこいとは感じず、むしろそこまでされてようやく「万人が振り返るほどリチャードは美しい人間なのだ」という意識が植え付けられたまであります。
 もっとオーバーにやっていい。もっと繰り返し、強調していい。料理と同じですこれくらいで十分かな、と思ったらあと一振り程度の調味料をかけることで料理はおいしくなる(当然レシピがあるならその通りにやるべきですけど)。それに気づけたことは私の中でも大きな変化のひとつだったと思います。


▽創作における省略について

 さて、さっきまで話していたことと真逆のことを話しましょう。
 先ほどわたしは「思ったよりも強調していい」と述べましたが、同時に真逆のことも思いました。「もっと省略していい」。極論同じ話なのでしょうね。読者のことを意識し、強調と省略をうまく使い分けることが大切なのです。
 読者は想像します。ことばひとつから、各々が連想ゲームのようにあらゆるものごとを、自分の経験の中から思い描くものです。なのでわりと読者に丸投げしても大丈夫な部分も多いな……と気付いたのです。
 想像にゆだねる、と言うとなんだか投げやりな感じになってしまいますが、あくまで計画的に、本筋にかかわらないような些事までことこまかに書こうとせず省略する、2021年はその練習もしていきたいなと思います。



あとがき

 なんだか全体的に反省文じみたものになってしまいました。ユーモアもなにもありませんでしたが、少しでもなにか響くものがあれば幸いです。
 今年から新生活、大学がはじまります。環境の変化についていけるか不安ですが(なにせ高校でいちどあきらめているもので……)、大学生活をがんばりながら創作活動もしっかりとこなしたいです! 目指せ公募用長編完結…………。
 ところで去年の創作TALKのまえがきにて、『毎度のことですがいつも締切にはギリギリで滑り込むタイプです。2020年は少しでいいので余裕を持つタイプになりたいです。』などとのたまっていた深瀬ですが、2020年も無事ギリギリの一年を過ごすことになってしまいました。なんなら創作TALKへ滑り込むタイミングも一緒ですね(去年の創作TALKの登校日も1/6)。2021年こそ……とは思いますが、無理な予感もひしひしとしています。
 ギリギリなりに精神的に余裕をもって過ごせる一年にしたいと思っています。それでは今年はじめのnoteはこのへんで。読んでいただきありがとうございました、今年もぜひよろしくお願いいたします。

深瀬空乃


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