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はてしない物語

ミヒャエル・エンデ 1979

[ 屋本古 ]
ーダンアレコ・トーランコ・ルーカ
こんな字が、ある小さい店のドアのガラスに書かれていた。といっても、うす暗い店の中からそのガラスごしに表の通りを眺めるとき、そう見えるのだったが。


臆病な少年バスチアンがいじめられっ子に追いかけられて飛び込んだコレアンダー氏の古書店で『はてしない物語』というタイトルのあかがね色の本と出会う。バスチアンは黙って本を持ち出して、授業が始まっている学校の屋根裏で読み始める。本の中の世界「ファンタージエン国」は正体不明の「虚無」に侵され滅亡間近であった。ファンタージエン国の王女「幼ごころの君」が命運を託すのは、勇者アトレーユ。幼ごころの君のしるし「アウリン」を首にかけ、アトレーユは国を救う旅に出る。

この作品は執筆の依頼を受けたエンデが、普段から思いついた着想を書き込んだメモを放りこんでいた箱の中にから「少年が読書中に物語の中に入り込んでしまい、そこから出てくるのが難しくなる」と書かれた紙片を見つけたことから構想されました。「はてしない物語」の執筆はいつまでも終わりを見出せず、エンデ自身が「命がけだった」と後に語ることとなります。執筆は慎重に推敲を重ねながら三年がかりとなりました。

作品は大ヒットし、エンデは自作が多くの読者を得たことに喜びを覚えながらも、成功の騒ぎがもたらす精神的な痛手が暗くのしかかります。「はてしない物語」は「ネバーエンディング・ストーリー」として映画化されます。映画の脚本を読んだエンデは原作の意図を無視した内容の改竄に驚き、映画のクレジットから原作者の名前を削除、変更を要求して裁判を起こします。ですが、最終的に敗北し、訴えは斥けられてしまいました。

「行きて帰りし」のモチーフを使った物語は、大好きなジャンルです。
どこかにある遥かな異国、西洋的・東洋的、または混ざり合った特性。
物質主義的、唯物論的な世界もあれば、調和に満ちた世界もある。
絶対的な規制から逃避をしてもよい。
ですが、どの世界にも「暗黙の了解」が存在しているように思う。
不思議の国であろうと、鏡の国であろうとも、「ストーリー」は存在する。
現実的空間でも想像的空間でも「沈黙(間)」が必要なのです。
夢見る能力が必要なのに。
容易に、我儘に、欲のままに、「ストーリー」を歪曲すれば、
その瞬間に、素敵な物語世界は崩壊してしまう。

「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」
コレアンダー氏はいった。
「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」


コレアンダー氏の期待はたがわなかった。
けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。

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