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思い出のアン

📗『思い出のアン』
和田登 1980
原作「青い目の星座」1984年映画化
「和田登」
児童文学作家
黒姫童話館・館長(2007〜2011)

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アンという青い目の少女が、突然ぼくの目の前にあらわれたのは、ぼくが八歳のときであった。ぼくはそのころ、北信濃の松林にかこまれた結核療養所の広いしき地内に住んでいた。
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日本の少年野宮周作とカナダ人の少女アンの初恋の物語
1932年の早春に、リスター一家が小布施に赴任して来るところから始まる。リスターは結核療養所の所長で、夫人は名バイオリニスト。アンは、金髪をふわりとなびかせていて、童話の国からきた少女のようであった。カナダ館に住んだリスター家と野宮家は隣り合わせだった。やがて二人は兄妹のように親しくなり、北信濃の美しい自然の中で成長していく。安らかな時代は次第に重苦しさを増していき、二・二六事件、日中戦争が暗い影を落としていた。そうした中でも、クリスマス・イヴのキャロリングや野尻湖畔でのキャンプの風景が二人の美しい思い出となる。しかし、1941年の日米開戦によって事態は悪化する。敵国人とされたリスター一家は軽井沢の強制収容所に連れ去られてしまった。中立国スイスの働きによって強制収容所の人々のために演奏会が行われることになり、アンが刑事に連れられてカナダ館までバイオリンを取りにやって来た。周作はアンを追って軽井沢に向かう。林の奥にある収容所に近づく。遠くでアンの弾くバイオリンの音が聞こえ、周作は心を躍らせたが、見張りにみつかり再会を果たせなかった。やがて1945年八月十五日を迎えた。

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この作品の「リスター一家」にはモデルがいます。『ダニエル・ノルマン』。長野県民に親しまれたカナダ人宜教師です。今でも北信濃の人々の中にはノルマン一家の写真を大切にしている人々もいます。ダニエル・ノルマンは軽井沢避暑団での働きや結核療養所開設に奔走したことから、“軽井沢の村長さん”と呼ばれ親しまれました。また宣教のかたわら北信濃の各地で旧制中学で英語を教えたり、農業の改良運動の指導などをも行いました。ノルマンには妻キャサリンと三人の子どもがいました。長女のグレイス、長男のハワード、次男のハーバート。彼らは美しい北信濃の自然の中で育ち、日本を愛し、多くの友人を持ちました。理想的な宣教師の家族。それがノルマン一家でした。戦争の影が忍び寄る1940年に日本を離れカナダに帰国、その半年後に亡くなりました。

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