生きるぼくら
📗『生きるぼくら』
原田マハ 2012
いじめから、ひきこもりとなった二十四歳の「麻生人生」。ある日目覚めると、頼りだった母が突然いなくなっていた。
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人生へ
私は、もうだめです。いままでどうにかがんばってきたけど、疲れ果ててしまいました。しばらく休みたいので、どこかへ行きます。死んだりはしません。ここの家賃もあなたのネット通信料も、毎月どこかから振りこみますから、安心してください。当面のお金も置いていきます。あなたはあなたの人生を、これからも好きなように生きていってください。
母より
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家に残されていた年賀状の束。その中に一枚だけ記憶にある名前があった。「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」。祖母からの年賀状のようである。人生は四年ぶりに外へ出て、祖母のいる長野県の「蓼科」へ向かう。そこは、どんなに時が流れても、決して変わらない場所。
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さあ、どこから話そうか。
聞いてくれるよね、母ちゃん。
お米を巡る、とっておきの物語。
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日本の稲作の起源は諸説があるが、およそ三千五百年まえ、縄文時代に始まったという説が有力視されている。稲作ができるようになると、食料を蓄えることができるようになり、古代日本の人口は増えていった。米作りは多くの人手を必要とし、大人数で作業したほうが効率的なため、グループが形成され、リーダーが生まれた。さらにはムラが形成され、やがてクニへと発展していく。
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