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夫婦善哉

夫婦善哉
織田作之助 1940

柳吉
「こ、こ、ここの善哉は何で、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ、こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山入っているように見えるやろ、そこをうまいきと考えよったのや。」
蝶子
「一人より夫婦の方が良えいうことでっしゃろ」

年中借金取りが出入りする一銭天麩羅屋。その娘の蝶子は芸者に出るが、化粧品問屋の若旦那で妻子を持つ柳吉と駆け落ちする。柳吉は何をやっても中途半端で、黒門市場や飛田大門通りの路地裏を移り住み、剃刀屋、関東煮屋、果物屋などの商売をするが、いずれも長続きしない。しっかり者の蝶子は柳吉を一人前にしたいと世話を焼く。だが柳吉は蝶子が貯めたお金を持ち出しては放蕩する始末。身内に無心しては芸者を揚げて散財していた。柳吉は寝たきりだった柳吉の父へ、見舞いとちょうこと正式な夫婦になれるよう頼む、と実家へ帰るも蝶子へは来るな、と言う。柳吉の父が亡くなり葬式も終えるが、柳吉は一月ほど行方をくらます。借金をして放蕩していたのだった。一月ぶりで蝶子のもとに戻った柳吉は、法善寺境内の「めおとぜんざい」へ蝶子を誘う。

「柳吉・蝶子」という、見方によっては大変奇妙な夫婦が色々な商いを手がけながら、大阪の町を彷徨う物語。いいお店の若旦那が芸者や女郎に惚れて身を誤るというのは、井原西鶴や近松門左衛門の浄瑠璃の時代からの型であるが、この「夫婦善哉」はそれらを踏襲していながらも「哀傷きまわりなきもの」とはなっていない。

競争社会の現実では敗者となってしまう柳吉である。自分を律することが出来ずに、つい放蕩してしまう。不始末を繰り返す柳吉に蝶子は寄り添う。

ふたり仲良く法善寺で『ぜんざい』をすする。
「晴れて夫婦」
「めをとよきかな」
「夫婦善哉」


十日経ち、柳吉はひょっくり「サロン蝶柳」へ戻って来た。行方を晦ましたのは策戦や、養子に蝶子と別れたと見せかけて金を取る肚やった、親爺が死ねば当然遺産の分け前に与らねば損や、そう思て、わざと葬式にも呼ばなかったと言った。蝶子は本当だと思った。柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。

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