戦火のなかの子どもたち

📕『戦火のなかの子どもたち』
いわさきちひろ 1973

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赤いシクラメンの花は
きょねんもおととしも そのまえのとしも
冬のわたしのしごとばの紅一点
ひとつひとつ
いつとはなしにひらいては
しごとちゅうのわたしとひとみをかわす。

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戦争がもたらす惨禍に否応無く巻き込まれる子供達を描いた作品。
いわさきちひろは、ちひろの親しい画家達が集まって作った「童画ぐるーぷ車」の展覧会(1972年5月)に出品する作品のテーマを決め、3点の作品を描き上げます。タイトルは三つの作品とも「こども」とだけつけられていました。その頃の社会状況からして誰に目にもベトナムの戦火の中に生きる子どもたちの姿だということは明らかでした。どの作品も鉛筆が主体で、わずかに水彩で淡彩を施しただけのものでしたが、見る人を立ち止まらせずにはおかない強さを秘めていました。展示会に訪れた岩崎書店の編集者(小西)と会長(岩崎の心は心をとらわれ、いわさきちひろへこの3点をもとに絵本を制作して欲しいと依頼をします。ちひろは承諾し、絵本「戦火のなかの子どもたち」の制作が決まります。1972年の秋口に制作に取り掛かります。
「たけ、この絵本の構成を考えてみない?」
(たけ=松本猛、いわさきちひろの息子)
いわさきちひろは絵を描きながら松本猛に意見を求め、構成も一緒に考えました。構成刷りが出た段階でも、何点かの書き直しをして完成しました。1973年9月10日出版。

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きょねんもおととしも そのまえのとしも
ベトナムの子どもの頭のうえに
ばくだんはかぎりなくふった。
赤いシクラメンの
そのすきとおった花びらのなかから
しんでいったその子たちの
ひとみがささやく。
あたしたちの一生は
ずーっと せんそうのなかだけだった。

🖋️
1973年秋、肝臓にガンが発見され、入退院を繰り返します。1974年3月の病状が悪化し再入院。6月、猛が病室に持参した描きかけのあかちゃんの絵に、淡いグレーの目とうっすらと赤みをおびた口を描き入れ完成させます。これが絶筆となります。
1974年8月8日、代々木病院の病室で息を引き取りました。

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